激情 伍







全ては霞んだ視界の中。
泣き崩れる沖田。
血に塗れた高杉。
そして――――あの男の姿。





乗り込んだ座敷はもぬけの殻だった。
「―――どういう事だ?」
土方は監察を振り返る。
「・・・副長、どうやらガセを掴まされたらしいです」
そう言った監察方の男は唇を震わせた。
悔しさと、おそらく恐怖。
土方が沖田に視線を走らせると、彼は頷いた。
「・・・罠、か」
呟いて刀に手を掛けた。神経を研ぎ澄ませると、部屋を取り囲む気配を感じる。
大した人数ではないが、こちらも対するには少々有利とはいえない頭数。
覚悟の上ではあったが、取り囲まれるのは予定になかった。
「それぞれ自分の道だけ確保しろ。・・・引くぞ」
「追っ手は俺がやりまさァ。土方さんは先頭切ってくれ」
一瞬土方は考え、仕方なく頷いた。
「先走るな。今は、引け。命令だ」
「・・・へィ」
その返事を合図に土方は襖を蹴破ると部屋を飛び出した。
目の前の敵を一人、二人と倒すと道は開けた。走りながら振り返ると、全員無事らしく皆後を付いて来た。
「妙ですぜ、土方さん」
すぐに沖田が土方と並ぶ。どうやら大した敵はいなかったらしい。
「雑魚ばっかか」
「ああ。こりゃ、出し抜かれたんじゃねぇかィ?」
「らしいな」
唸るように土方は低く言うと、監察を見た。
「奴等の使う道は何処だ?きっと今夜発つつもりだ」
「一般には使われていない峠があります。志士の連中の通り道です」
「―――そっちには俺と総悟で行く。後は上り封鎖だ」
「二人?」
沖田は驚いて土方を見た。
「坂田一人なら充分だろ。大人数で峠越えはしねえよ」
本音は邪魔を入れたくないだけだった。できるなら一人で追いたいくらいだ。
「充分・・・、ですかねェ」
沖田は呟いた。







「―――居た」
暗闇に浮かぶ白髪は目立った。土方の言う通り、この道を行くのは極少数だ。そうなると、一般道に張り込んだ真撰組に大部分は検挙される事になるかもしれない。
「もう少し、奴が皆と離れた所を狙う」
「・・・・でも・・・」
口篭もる沖田を土方は見た。らしくなく、眉を顰めている。
「どうした?」
「あれ、本当に旦那かィ?すげえ殺気だ。・・・無理かもしれねぇよ、土方さん」
土方は思わず銀時の後ろ姿を見つめ、息を呑んだ。
だが、ここまで来て引き返すことは出来ない。
しばらくして、土方の思惑通り銀時は独り道から外れた。
「・・・はばかりですかねィ?」
沖田が呟く。
「・・・・・」
土方はそれには答えず、無言で銀時との距離を縮めた。
が、不意にその姿を見失い、土方は素早く辺りを見渡した。
「―――土方さん!」
沖田の声に振り向いた時は遅かった。
殺気と共に鈍い衝撃を背中に感じ、土方は倒れ様後ろを見た。
「来るの遅ぇよ。待ちくたびれたじゃねーか」
笑みを浮かべた銀時の顔が目前にある。
「手前・・・、はぐれたのはやっぱ、わざとか」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってンの?」
銀時が後ろから不意打ちをするとは思っていなかった。自分の甘さに笑いが込み上げる。そして、情けも容赦もないその顔は昔白夜叉と恐れられたそれだと、土方は気付いた。
銀時は静かに木刀を下ろすと、剣を構える沖田を見た。
「よう。―――元気そうなツラしてんじゃねーか」
「・・・旦那もな。元気そうで・・・、意外だ」
沖田が辛そうな表情を見せたのは一瞬で、すぐにまた目の前の敵を睨みつける。
「意外?嫌々攘夷連中とツルんでると思った?」
「・・・ああ」
沖田が頷くと、銀時は小さく笑って後ろを見た。
高杉がゆっくりと近付いてくる。
「―――とどめ差せ」
銀時は答えず、代わりに木刀をその場に投げ捨てると真剣を抜いた。
月明かりに照らされ、それは不気味な光を帯びていた。
「ようやく旦那とやり合えるってワケかィ」
「殺しても殺されてもいいって気がすんだよ。変だろ、俺」
そう言った銀時の表情がやるせないように揺れ、沖田は息を呑んだ。
「―――俺の方が、変だよ・・・」
言いながら、沖田は剣を真っ直ぐに銀時に向けて走り出した。
刃と刃がぶつかり合う鋭い音が静まり返った山中に木霊する。
「強ぇな、お前」
防御と攻撃を繰り返しながら、銀時が言った。
「――――何言ってんでィ。やっぱ、あんたにゃ勝てねぇよ・・・」
唸るように沖田が呟いた途端、その剣は銀時の刀に弾かれ地面に突き刺さった。
「悪ィ、土方さん。お終いだ」
観念したように瞼を閉じた沖田に、息を整えた銀時はゆっくりと近付いた。
「俺に勝てないって分かってて向かって来た?」
「・・・勝てるかもしれないとは思ってたよ。負けたのはわざとじゃねぇし」
「・・・殺された方がいいって思った?」
銀時の言葉に沖田は笑った。
「―――変だろ?」
数秒の沈黙がその場を支配した。
銀時の殺気は消えていない。今にも彼の手の刀が沖田を切り裂くようだ。
沈黙を破ったのは苛々とした高杉の声だった。
「おい、銀時」
「何だよ」
振り向かずに銀時は答える。
「手前、裏切る気じゃねぇだろうな?何の為に此処に来たんだ、そいつら殺る為じゃねぇのか?」
「違うね。俺はこうする為に此処に来たんだよ」
言うなり銀時は振り向き、背後の高杉に剣を振り下ろした。
不意を付かれ、あっけなく高杉は地面に膝を付く。
「―――銀時ィ・・・・」
高杉は斬られた肩を押さえて、銀時を睨んだ。
「だって、こうしないとこの子言う事聞かないって言うんだよ」
「・・・旦那・・・?」
沖田は目を見開いて目の前で起こっている事を見つめていた。
ようやく、銀時の発していた殺気が消えた。
無様に地に膝を付いたまま、土方もそれを呆然と見た。情けないことに声を発する事も出来ないが、銀時が真剣を使わずに自分を倒した理由をようやく理解した。警察である土方を生かす理由は他にはない。銀時に助けられたのだ。
そして、彼はどうしようと言うのか。
「ほら、捕れよ。無傷じゃ無理だ。これでカンベンしてくれ」
高杉をぐいと、沖田の方に押し付けて銀時は言った。
「・・・嘘だろ・・・?こんな事の為に・・・、高杉の仲間になった振りしたってのかィ・・・?」
そう言った沖田の声も身体も震えていた。
当然だろう。人生を棒に振ったも同然だ。攘夷にこれだけ関係してしまった銀時は、捕まれば処刑は免れない。
「こんな事じゃねぇよ」
「―――俺に、どうしろってんだ!?」
その叫びは悲痛な響きを含み、聞いている方が耳を塞ぎたくなるものだった。
だが、銀時は笑みを浮かべたまま静かに沖田を見ている。
「お前はもう何もしなくていい。ただ、認めろよ」
「・・・何を・・・」
「俺の事、好きだろ?」
「――――」
言葉を失った沖田は、次の瞬間銀時を睨みつけた。
「頭悪ィ事ばっか言ってんじゃねぇよ!さっさと俺殺して逃げろよ!―――もう、嫌なんだよ!」
叫び、沖田はその場に力が抜けたように崩れ落ちた。
「何で理由が俺なんだよ・・・」
「しょーがねーんだって。もうさ、お前の願いだけ叶えば後はもうどうでもいいって気がするんだわ」
「・・・願い?・・・違う、こんなのは・・・」
「いーんだよ、もうちっと楽に考えろや」
「やっぱ馬鹿だ、アンタ」
呟き、沖田は両手で顔を覆った。
「アンタを好きだって認めて、アンタ失くして、どうやって楽に生きれってんだ?」
「俺死なねーから。重荷にゃなんねーから。たまに思い出してくれればいーから」
土方はずるりとその場に腰を下ろした。体を支える気力さえ、根こそぎ失われていくようだった。
銀時の言葉こそ、土方がしたくて、どうしてもできなかった事だった。
「・・・俺ァ、旦那みてぇにくだらない物を笑って守れる男になりたかった。俺の願いなんてのはちっぽけで、アンタが命懸ける価値なんてねぇんだよ・・・。何もしようとしなかったのは、俺だ」
搾り出すように言い、沖田はその両目から雫を零した。それは、彼が人間らしい感情を宿した証のように土方には見えた。
どうしても見てみたかった、力ずくで見ようとした彼の姿だった。
「アンタの言う通りだ。―――認めるよ」
銀時はそう言った彼に近寄り、その腕を取った。
「ようやく、手に入れた。・・・実はさ、最初から殺す気も殺される気もなかったんだよね」
小さく笑って、そっと、沖田の身体を抱き締める。






―――――やがて、二人は土方の目の前から完全に姿を消した。
高杉は斬られた肩を庇いながらふらりと山の方へ姿を消したが、沖田が呼んだ真撰組の応援が駆け付けて来る足音が聞こえてくる。おそらく、今度こそ逃げ切る事は不可能だろう。
沖田は誓いを破る代わりに二度と目の前には現われないと、土方に言った。
そんな事はどうでもいいから、誰を好きでもいいから傍にいてくれと願う自分が滑稽で、土方はただ薄く目を開けて二人を見ただけだった。
二人をここまで追い込んだのは間違いなく自分。
この結末は土方が導いたものだった。

人の心に潜む、激しく荒れ狂う感情の波に呑まれたのだ。
その中にあっても誇り高くあった銀時と、最後の沖田の涙を、土方はただ思い返していた―――――






















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地下に隠して良かった、としみじみ思う最後になってしまいました・・・(駄目だろ)
愛人の次は駆け落ちかよっ!(自分でツッコミました)
土方&高杉こんな事にしてしまって申し訳ないです。ごめんなさい。