背徳の恋人
真撰組結成当時から追い駆けていた敵が今、沖田総悟の目の前に居た。
彼は長い黒髪をなびかせてゆっくりと振り向いた。
月明かりに照らされ、その端正な顔が浮かび上がる。
沖田は柄にもなく緊張している自分に気付いていた。刀の柄を握る手にじっとりと汗が滲んでいる。
「俺を捕えたと、本気で思うか?」
不敵に笑う桂小太郎を、沖田は睨みつけた。
「ここまで追い込まれておきながら、余裕だなァ」
じりじりと間合いを詰めながら、沖田も口の端を上げる。
何時も寸での所で逃げられていた。けれど今回ばかりはそうはいかないだろう。
先回りした隊士達が道の先にいる筈で、後ろからは土方がもうすぐ追い付く。
「貴様、俺個人に恨みがある訳ではなかろう?俺も貴様に恨みはない」
「・・・まァ、恨みはねぇけどよ・・・」
沖田は刀を握り直した。
「貴様沖田総悟、と言ったか」
「ああ」
「敵同士というものは分かり合えないものだろうか?」
桂は真剣な目で沖田を見つめている。
彼とは何度か会っているし、手配書も見ている。
が、こうして真正面からしっかりと向き合った事は初めてだった。
想像以上に彼の顔立ちは女性的で整っていて、そして綺麗な瞳をしていた。吸い込まれそうな闇の色。
「命乞いなら、無駄でィ」
ふとすると見惚れてしまいそうになる自分を叱咤して、沖田は口を開いた。
「違う。俺は告白をしている」
が、発された彼の返事に一瞬、頭の中が真っ白になった。
「・・・告白・・・?」
意味が分からず、沖田は同じ言葉を繰り返した。
眉を潜める沖田に桂は近付いて来る。
「お前に追い詰められる感覚が癖になりそうだ。これも一つの愛ではなかろうか?」
沖田は怯み、思わず後退った。それを追いかけるように桂は歩を進める。
「何故逃げる?俺をもっと追い詰めてくれと言っているのだ」
「こいつ・・・、キモ・・・」
桂という男は見掛けと中身が大分違うらしい。見惚れた自分に後悔しつつ、沖田は更に彼から離れようと試みた。
「このギリギリが快感だ。解るか!?」
「分かんねーよ!」
土方を呼ぼうと後ろに意識を集中させた瞬間、桂は沖田の懐に飛び込んできた。
「甘いな、沖田」
桂は笑い、沖田の両手を素早く拘束した。
刀が音を立てて地面に落ちる。
沖田はその顔を見ながら、先程のは自分を油断させる為の演技だったのだ、と思った。
彼の言う通り、甘い自分に舌打ちする。
そんな沖田に、桂は唐突に口付けた。
「!?」
驚いて身を捩る沖田から、桂は直ぐに身を離した。
「これを味わう為にも、まだ捕まるわけには行かない」
自分の唇に指を充て、満足そうに彼は瞳を閉じた。
「続きは、また―――・・・」
そう言い残して、桂は身を翻した。
その後ろ姿を沖田は黙って見送るしか出来ない。
震えて後を追えなかった自分を情けないと沖田は思ったが、どうしようもなかった。
何が起こったのか理解するのに相当の時間を要したけれど、確かに桂は沖田に口付けた。
「本気じゃねぇよな・・・」
呟いた時、土方の声が聞こえた。
「総悟!桂は!?」
「すいや、せん・・・。逃げられちまった」
答えた声が震えているのに自分も、そして土方も気が付いた。
「・・・何があった?」
「何もねぇよ」
気を取り直して沖田は言い、そして不意に口の中に残る血の味に気付いた。
怪我をした覚えはない。
――――桂・・・?
彼が去った方向を振り返り、彼が怪我をしていたのではないかと思った。
今夜簡単に追い詰められた理由はそれだったのだ。
不思議な人物だと思う。
想像とはかなりかけ離れた言動。
―――けれど、あの瞳が・・・。
自分を見つめる黒い瞳が脳裏に蘇り、沖田は軽い眩暈を覚えた。
次に会った時は彼の言動に惑わされず、真実の彼の姿を見たいと、そう思った。
「まだ近くに居る筈だ。探せ」
「無理だよ」
沖田が言った言葉に土方は眉を上げた。
「今日はもう無理だ。でも土方さん、次は絶対俺が捕まえまさァ」
にやりと口の端を上げる沖田を見て、土方は安心したように頷いた。
その“次”は直ぐに訪れた。
夜明けまで近辺を捜索した真撰組が屯所に戻るのを見送り、沖田は一人で桂の消えた路地へ足を踏み入れた。
掻き消えるように姿を消した彼に、笑みが浮かぶ。
それでこそ、追う価値があるというものだ。
その時、がらん、と音がして沖田は暗がりに目を向けた。
ゴミバケツの蓋が落ちた音だったようだ。
「・・・・・」
嫌な予感に捕らわれ、沖田はゴミバケツに恐る恐る近付く。
「―――――何、してんだ?」
その中に蹲る人影に沖田は声を掛けた。桂だった。
「いや、動けなくてな」
「ずっと・・・、こん中にいたってのか!?」
驚き、半分呆れ、沖田は叫ぶように言った。あまりに初歩的な隠れ方過ぎて誰も気付かなかったのだ。
本当にこの男は大物なのか、ただのバカなのか判断が付かない。
「やっぱり怪我してたんだろ!?」
「・・・気付かれていたとは不覚。だが、貴様があの副長に無理だと言ってくれたお陰で助かった」
助けた訳ではない。本当に無理だと思ったのだ。
彼がただのバカであっては、真撰組の名が地に落ちる。逃がしてしまった自分のプライドに傷がつく。
沖田は彼が敵として不足ない相手であって欲しいと望んでいるのだ。
それ以下ならば問題外だった。
「とりあえず・・・、逮捕しまさァ」
彼の右手首ににがちゃりと手錠を掛け、片方を自分の左手首に掛ける。
これで、何が何でも連行できる。
「そうか・・・、そんなに俺とくっついていたいのか」
「・・・・・」
ざわりと、鳥肌が立つ。
「思ったより早く続きが出来るではないか。なかなかいい玩具を持っているな」
「・・・その手はもう食わねぇよ。お前をム所に入れるまで俺は絶対逃げねぇからな・・・って、何してんでィ?」
桂は沖田のベルトに手を掛け、外そうとしている。
「続きを」
自分の立場を分かっているのか。それともこちらがバカにされているのか。
再び彼のペースに巻き込まれそうになる自分を、沖田はぐっと堪えた。
彼の手を叩き落して口を開く。
「いいから歩けよ。言いたい事ぁ、牢屋入ってから言いな」
「それは出来ん。この国の夜明けを見るまで俺は捕まるわけにはいかないのだ」
そう言って、桂はまた、沖田が見惚れたくなるあの瞳をした。
「―――じゃあ、何としてでも逃げてみな」
期待が胸を掠める。
目を奪う鮮やかさで、彼がこの窮地から逃れる事を。
「いや、だが今はこのぎりぎりを楽しむべきだろう」
「――――手前、いい加減ふざけんのは―――」
苛付いた沖田は声を荒げて桂を見上げ、その顔が目前まで迫っているのに声を失くした。
また、キスされる。
咄嗟に顔を伏せ、それを逃れるが、代わりに強く抱き締められた。
「―――――」
桂の身体は細く、自分と同じくらい華奢だった。だが、筋肉が付いているのはしっかりと感じられ、その力の強さに驚く。
「―――これを、恋という」
「・・・・・は?」
「俺も貴様も強く互いの事を考えている。こうしていて、嫌だと貴様は思っていない」
「・・・・ちが・・・」
沖田は思わず顔を上げた。
「違うのか?沖田?」
「――――」
違う、とはっきり否定しようと開いた唇に、桂のそれが被さった。
先程の口付けよりも強く深く、彼の舌が沖田の口内を犯す。
「・・・んっ・・」
空気を求め、逃れる唇を執拗に追い駆けられる。
沖田の手は空を彷徨い、桂の黒髪に触れた。
さらりと指を通る感触に一瞬我を忘れ、沖田はその髪に指を絡ませた。
服の中に潜り込んで来た桂の手が、肌の上を這い始める。
沖田は思わずびくりと、身体を揺らした。
「・・・や、」
力が抜けて、沖田は背後の壁に背を預ける形になった。愛撫の手を休めることなく、桂は目を細めてそんな沖田を見た。
数刻後、散々身体中を触られて息を乱した沖田はその場に座り込んでいた。
服は乱れ放題だ。
桂はそんな沖田を黙って見下ろしていた。繋いでいた手錠は外されている。
沖田の身体を弄って取り出した鍵で、彼は逃れたのだ。
ひどい屈辱に、沖田は顔を上げることが出来なかった。
「・・・いつも、こんな風に逃げてたのか?」
荒い息の下で沖田は問い掛けた。
「馬鹿な。この手が通用するのは貴様だけだ」
「・・・・・どういう、意味でィ・・?」
「これは、俺達が恋人同士だから出来る事だ」
「――――・・・ん?」
聞き違いかと、沖田は眉を寄せた。
「貴様意外にこんな事をしたいとは思わない。いや、決してしない。誓おう」
「―――――」
聞き間違いではない。“恋人”と彼は言った。
この関係の何処をどうしたらそんな甘ったるい関係だと言い切ってしまえるのか分からない。
それなのに、彼の言葉に安堵している自分が確かにいた。
でも・・・、
「それが手前の本心だと信じる事ぁ、できねェよ。そんな事言って、また逃げるんだろ?」
「逃げる。貴様はまた俺を追えばいい。そしてまた、会おう」
「やっぱお前、頭おかしいだろ?それのどこが恋人だっていうんだ!?」
「・・・寂しいか?」
沖田はぐっと言葉に詰って桂を見上げた。
「信じればいい。必ず会えると。時間と場所さえあれば、今此処で契りを結んでもいいのだが」
「ちぎり・・・、って・・・」
顔に一気に血が上る。
何か言い返そうと試みるが、どれも上手い事言葉になってくれない。
諦めの溜息を吐いて、沖田は服を整えた。
「ところで、怪我はどうしたんでィ?」
「・・・ああ、出掛けに蕎麦を食っていて頬を噛んだ。ひどい口内炎になってな、実は今も辛くて辛くて・・・」
「マジでか」
沖田はがっくりと項垂れた。
彼が只者であって欲しくないと期待した時点で、沖田は既に桂に惹かれていたのだ。
それはその本性を知った今も変わらない。
誰にも言えない、真撰組に背を向ける感情を沖田は持ってしまった。
それでも、この差し出された手を振り払う事は出来なかった。
桂の言う通り、それは間違いなく恋だった。
終
/////*/*/*/*/*/*/*/*/*/////
暴走しちゃった。こんなに長くなる予定じゃなかったのに(苦笑)
シリアスにしようと思ったのが、どうしてもヅラは馬鹿になってしまった。
そして沖田はそんな彼に恋してしまった。
大まかな設定は頭に浮かべてから書き始めるのですが、何時も指が勝手に動き出すんです。
・・・私のせいじゃないんです。(すごい責任転嫁)
戻る