始まり 6






最初は確かに、愛などなかった。
感情は何時の間にか勝手に動き出す。
本人の意思など関係のない所で静かに。
その瞬間を待っていたかのように―――――――






土方に対する嫌悪は不思議となかった。
まだ自分の記憶の中で、共に過ごした長い時間がしっかりと残っているから。
今まで悟られないように陰で守ってくれていた、というのも事実なのだろう。
でも、それも今夜まで。
これからは自分で自分を守るのだ。
今夜を境にお互いがどう変わるのかが怖い。
ただそれだけだった。




真夜中、静まり返った屯所の廊下を歩きながら、沖田は一人の女を思っていた。
生まれたばかりで直ぐに捨てなくてはならない感情。
あの黒く澄んだ瞳に映るのは自分ではない。
その事実に堪えられないのなら、別れを選ぶしかないのだ。
―――――どうか、彼女に幸福を。
静かに願い、沖田は土方の部屋の襖を開けた。
「――――――」
扉を開けたまま、沖田は自分の目を疑う。
其処に居たのは土方ではなく、九兵衛だった。
「――――なんで・・・」
九兵衛は黙って頭を下げた。
「・・・土方―――彼が、言った。僕達は皆同じだと」
“報われねぇよな”
皮肉気に言った土方の顔を九兵衛は思い返した。
「僕がお妙ちゃんに望む事、土方がお前に望む事、そしてお前が僕に望む事・・・」
沖田が息を飲む気配がした。
それで悟る。自分の浅はかさを。
「――――それは皆、同じだと・・・、彼が言った」
“だったら、一人くらい報われてもいいんじゃねぇか?”
そう言った土方は、多分あの時の彼と同じなのだろう。
自分の上司の為に柳生に乗り込んで来た時の彼と。沖田の中の、信頼に値する彼と。
自分の事ばかりで気付かなかった。
沖田の心が何時の間にか自分に向いていた事に気付けなかった。
土方も沖田も自分の気持ちに決着を付けた。
後は自分だけなのだ。
「何で頭下げてんですかィ?・・・止めて下せェ。同情とか、真っ平なんで」
沖田は静かに襖を閉めると、九兵衛の近くに立った。
「そうじゃない。・・・僕は、お妙ちゃんが大切で愛しい。彼女は憧れで、僕が焦がれる女性像なんだ」
「・・・そんな事、わざわざ言いに来たのかィ?」
「――――・・・僕の気持ちを正直に伝える為に来た。そして、自分の浅はかさを詫びに」
九兵衛は顔を上げると真っ直ぐに沖田を見詰めた。
「お前にとって屈辱になるかもしれないが、僕は本気でお前を守りたいと思ったんだ。女とか男とか関係なく、全力で全てから守る覚悟で結婚を申し出た」
「・・・うん。だからそれは・・・、感謝してまさァ・・・」
沖田は気まずそうに頬を掻いた。
どう言えば伝わるのか。
九兵衛は自分の不甲斐なさに苛立ちを感じた。
沖田が一人で柳生の道場に来た時、まずその顔立ちに見惚れた。
自分の剣を誇りに思う彼を、自分の負けを素直に認めた彼を、気に入った。
そうでなければ相手になど選ばない。
こんなに執着などしない。
それを“恋”と、“愛”と呼んでいいものかどうかが解らない。
「・・・あの、あんま悩まねぇでくだせェ。俺の立場なくなるんで。アンタは真面目な人だから仕方ねぇかもしんねぇけど、流石に何度も念押して振られるのはキツいや」
「―――――違う!どうしてそんな風に私の気持ちを決め付ける!?」
「―――――・・・」
沖田は動きを止めて九兵衛を見た。
「じゃ、何?俺の事好きになんの?」
「・・・・そうかもしれないから、逢いに来た」
「俺ァ、それまで待つ、なんて事言える人間じゃねぇんでさァ。俺ん中じゃもうケリつけた話なんで―――」
瞬間、九兵衛の顔が悲しそうに歪んだ。
同時にスパン、と勢い良く襖が開いて顔を顰めた土方が入って来た。
「――――うぜぇ。てめぇら滅茶苦茶うぜぇ。苛々するわっ」
驚く沖田をちらりと見て、土方は九兵衛に向かって口を開いた。
「何で言わねぇんだ?総悟に手ぇ出す奴は許さねぇって、啖呵切って斬りかかって来やがったくせに」
「――――・・・!」
九兵衛は頬を染めると俯いた。
今朝沖田が去った後、「心がなくても抱く」と言った土方に九兵衛は殺意を覚えた。
そして、この先同じ様に沖田に触れようとする者、沖田と心を通わせる者を想像しただけで堪らない気持ちになった。
「言えぬ。――――そんな独占欲。・・・女々しい僕など知られたくない」
見る見る内に耳まで赤くなる九兵衛に、沖田は言葉も無い。
「そんないい加減な奴にはやっぱりやんねぇ」
土方はそう言って沖田の腕を掴んだ。
「一度覚悟したんだから構わねぇだろ?」
「・・・土方さん・・・」
そんな憎まれ口など、もう沖田には通じない。
「ごめんな」
「謝んな。犯すぞ」
沖田は苦笑を浮かべた。
「俺がもう一回振られたら、本当にアンタの好きにしていいや」
俯いたままの九兵衛の傍に寄ると、沖田は膝をついた。
同じ目線で、今度こそ。
「俺、お妙さんに嫉妬してるって言いやしたよね?それも女々しいですかィ?」
「――――え・・・?」
あの時の遠回しな科白は彼女には通じていなかったらしい。
一番じゃないならいらない。それはつまり、嫉妬だ。
九兵衛は顔を上げて沖田を見た。
「だから・・・、あんなに僕を拒否したのか?」
「まあ・・・、」
そういう事です。
つられて沖田も顔が熱くなるのを感じた。
「・・・先刻のアンタの反応は、嬉しかっ・・・」
「―――――僕もだ!」
沖田の言葉を遮り、九兵衛は口を開いた。
「“取り引き”という言葉を取り消す!」
「・・・あの・・・、」
「僕はお前に求愛する!」
「・・・・・―――――」
またもや、彼女に男らしく告白されてしまった。
思い返せば自分は一度も彼女に“好きだ”と言っていない。
気持ちを伝えてもいないのに予防線を張って逃げた。
男らしく。女らしく。
そんな小さな事にこだわる自分がこの場で一番女々しいのかもしれない。
沖田は溜息を吐くと口を開いた。
「・・・俺で、良かったら・・・」
途端、微笑む彼女。
土方を振り返ると、彼は腕を組んだ姿勢で黙ってこちらを眺めている。


始めは確かに存在しなかった感情が、其々の中に生まれ、そして確実に育っていた。























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愛はあって欲しいです。
人でなし返上してキューピッドになった土方(笑)