花弁が舞うように、ひとひら・・・。
一片
その背はいつでも目の前にあった。
守られていた、いつだって。
それが、こんなにも悔しい。
「――――危ねぇっ」
油断などしていなかった。何時ものように、振り向けば一太刀で片が付く。
目の前に迫った刃を遮ったのは、良く知った背中。
俺の顔に、髪に、容赦なく血飛沫が振り掛る。
冷たい瞳のその人に流れる血は温かかった。俺の目の前は真っ白になった。
ゆっくりと崩れ落ちる身体を霞んだ視界の隅に捕らえ、俺は敵を見た。これほどの恐怖を宿した人間の目を見たのは初めてだった。見開かれたその目に映るのは、間違いなく自分。
そいつは断末魔の叫びも上げる間もなく、死んだ。切っ先は正確に心臓を一突きで貫いた。
そして、俺はゆっくりと振り向いた。
嘘だと、夢だと、そうであって欲しいと願いながら。
――――なんでアンタはそこまでする?なんで俺を庇おうとするんだ?
「過保護だな」
「・・・違う、そんなんじゃねぇ」
床につく土方の傍らには近藤の姿があった。
「総悟はもう、お前より強くなってる。知ってるだろ?何時までもハナ垂らしてる餓鬼じゃねぇぞ」
「知ってるさ」
土方は小さく笑った。
「じゃあ、どうして前に出た?総悟の顔見たか?どっちが怪我人だかわかんなかったぞ。いい加減、子離れしなきゃいかんよ、トシ」
「・・・それはあんただろう、近藤さん。あいつの親代わりはあんただ」
近藤は溜息を吐いた。
「なんにせよ、命に別状なくて良かった」
部屋の外で二人の会話を聞いていた沖田は、唇を噛み締めた。
「もう少しで副長の座は俺のもんだったのに。惜しかったぜィ」
言いながら、沖田は部屋の扉を開けた。
「総悟・・・」
近藤は困ったような表情でそんな沖田を見た。
「こんな事で怪我する人間に副長なんざ務まりませんぜ?土方さん。さっさと引退したらどうです?」
「総悟!」
諌めるような近藤の声に沖田は黙った。代わりに、冷たい視線を土方に投げ付ける。
命に別状はないとはいえ、その傷は深かった。出血も酷い。
色を失った顔色で、土方は沖田を見上げた。
「お前は無事か?」
「―――アンタよりはね」
土方の言葉に一瞬息を呑み、沖田は吐き捨てるように言うと、踵を返して部屋を出て行った。
「・・・全く、あいつは。総悟に悪気はないんだ、トシ。心配してるだけで、巧く言えないだけだ」
昔は素直だったのに、と呟いて、沖田を庇うように近藤は土方に頭を下げた。
「分かってる。あんたが謝る必要はねぇよ」
土方はそんな近藤から視線を外すと、傷口を庇いながら寝返りを打った。
「トシ?」
「・・・悪いが、少し休む」
近藤に背を向け、土方は言った。
泣き顔が頭から離れない。
護らなくてはいけないと思ったのは多分その時から。
しかし、それは情けでも義務感からでもなかった。
「動けるようになったんですかィ」
土方が縁側で桜を見ていると、何時の間にか傍に沖田が立っていた。
あれから、沖田は土方の前に姿を見せなかった。偶に見かけても、その表情は固かった。
「・・・煙草、吸いてぇ」
「アンタがよく二週間も我慢できたよな」
言いながら、沖田は懐から煙草を取り出した。近藤に言われて買い置きは全て沖田が預かっていた。
「医者に止められてたし・・・、そういや、吸いたいとも思わなかったな」
「それだけ回復したってことかィ」
土方は受け取った煙草に火を点け、深く吸い込んだ。
「用か?」
突っ立ったままの沖田に、土方は問い掛けた。
「・・・ムカつくんだよ。アンタがどういうつもりなのか教えてくれ。あれじゃ、ただの犬死だろう?」
土方は沖田を見た。まだ、重なる。あの日の泣き顔が。
「俺が好きでした事だ。・・・確かに、考えは浅かったな」
「なんだよ、それ?もしアンタがあれで死んだら俺が気持ち悪ィじゃねぇか」
「・・・お前は笑ってりゃいい」
その時、ざぁっと吹いた風が花弁を一斉に散らした。
「―――そりゃあ、告白かィ?」
口の端を上げて、沖田は笑った。そんな表情は似合わないな、と土方はぼんやりと思う。
「ああ、お前が好きだ」
一片の傷も付けたくないと思うほどに。無意識に庇ってしまうほどに。
煙を吐き出しながら、何時の事だったか、と土方は考えた。
それはまだ、夢が夢だった頃。
沖田はただ、一緒にいた。他に行く所がなかったから、目的もなく、生きる為に其処にいただけだった。
彼に剣の才能があるのは分かったが、幼い細い腕では近藤の道場の誰にも勝つことは出来なかった。
その頃土方は売ったり買ったり、喧嘩をよくした。先が見えない不安に苛立ち、周りを傷つけていた。
偶々その日は相手が大勢だったのと、調子が悪かったのが重なり、土方は手傷を負った。ところが、丁度運悪くそこを通り掛かった沖田が木刀を持って助けに来たのには正直驚き、そして邪魔だと思った。
邪魔だから退け、と怒鳴る土方に、沖田はしれっと笑った。
“だいじょーぶでさァ”
言いながら、敵に向かって行く沖田は目を見張るほどに強くなっていた。ほんの少し、目を離した間に。
だが、多勢に無勢だ。自分が恥ずかしく思えて土方は立ち上がった。なんとか相手を蹴散らし、半分逃げるようにして二人は無事に帰り道に着く事が出来た。
礼を言うのも気恥ずかしく、黙っていた土方は沖田が震えているのに気が付いた。
怖かったか?と聞くと彼は首を振った。
“・・・俺は、正直怖かったよ”
そう言うと、沖田はその大きな瞳からぼろぼろと涙を零した。
噛み締めた口から嗚咽が漏れる。本当は彼も怖かったのだ。
それが分かった瞬間、土方は激しく後悔した。
もう二度と意味のない喧嘩はしないと、その時決めた。
彼の手に護られるのはこれが最初で最後だ、と。
“土方さんが死ななくて、良かった”
それが一番怖かった、と呟いた沖田を愛しいと思った。
荒んだ心に届いた唯一の言葉だった。
それ以来、沖田の泣き顔は見ていない。
だから今、沖田が怒っている理由は土方が一番良く分かっていた。
刃の前に飛び出すとは我ながら馬鹿な真似だったとは思うが、身体が勝手に動いたのだから仕方ない。
好きだと言った土方を沖田は真剣な眼差しで見つめていた。
「二度と、俺の前に立つな。土方さんの前に立つのは俺だ。二度と俺を庇ったりしないって誓うんなら・・・、」
沖田は言葉を切り、少し躊躇った後再び口を開いた。
「アンタのものになってもいい」
土方は驚いて目を見開いた。
「告白か?」
「ちげー!それは今アンタがしただろ!?今は俺が聞いてんだ!・・・誓うかィ?」
土方は静かに笑った。
「それは、無理だ」
「――――なんで・・・」
沖田は急にずかずかと土方に近寄ると、荒々しく胸元を掴んだ。力任せに引き寄せ、そのまま土方の唇に噛み付いた。
「つッ」
「何で好きだって言われたのに、振られたような気分になるんだ?俺が欲しくないのか!?」
「欲しいな」
僅かに血の滲んだ唇を自分の指で拭いながら、土方は苦く笑った。
「―――俺が何の為に強くなりたいと思ったのか、アンタは全然解ってねぇ。アンタよりも、近藤さんよりも強くなったのは、これでしか返せねぇからだよ!俺には・・・、付いてく事しか出来ねぇから・・・!」
「知ってる。お前が俺達の盾になろうとしてるって事ぁ、百も承知だ。・・・だからだよ」
「え?」
「だから、俺はお前を護っちまうんだ。・・・好きだと、思うんだ・・・」
言って、土方は沖田を抱き寄せた。
驚いたのは一瞬で、沖田は直ぐに包帯の巻かれた身体を抱き締め返した。
「イヤだ・・・!約束しないと、アンタなんか一生好きにならねぇ・・・!」
「そうか」
沖田は、小さく笑った土方の唇に優しくキスした。先程自分が付けた傷口にそっと舌を這わせる。
土方が小さく息を呑んだのが分かった。
「嘘だよ」
本当は、ずっと好きだった。
沖田は呟いた。
―――敵わない。
そう思った。悔しいのに、この人が大切で仕方がない。
それとも、大切だから憎いのか。俺には解らない。
これからもこの人の背中を見ながら歩き続けるのだろうと思う。追い越すことなど、出来ない。
合わせた唇が微かに震えた。
抱き締めた手に力を込めて見上げると、雫が光った。
初めて見たその人の涙は綺麗で、俺は瞬きも忘れてそれに見惚れた。
一片、
はらりと、花弁が舞うように。
それは落ちてきた。
終
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あ、泣かしちゃった。
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