白と赤。鮮やかに目に飛び込んできたその景色。
怪我をしたのかと思った。
一気に自分の血の気が失せるのが分かった。
慌てて駆け寄り、それが怪我の血でも返り血でもない事に気付いた。
嘘だろう?
「―――総悟?」
俺の声はそれと分かるほどに震えていた。
雪の中の鮮血。青白い総悟の顔に手に服にしたたり落ちるそれ。
「バレちゃいやしたか」
総悟は苦い笑みを浮かべて俺を見た。
彼の口から出たのであろうそれを、俺は自分のスカーフで拭いた。
「・・・何の、病だ?」
「さあ」
他人事の様に総悟は言った。
拭いても拭いても綺麗にならないそれをごしごしと擦りながら、俺は思い当たった。
総悟の治らない風邪。
咳をはじめたのは何時からだっただろう。
ー―――労咳は喀血まで症状が進むと絶望的だという。
一体何時から、どうやって隠し通して来たのだろうか?
死ぬのか?いなくなるのか?
そう思った瞬間、目の前が真っ白になった。
「・・・なんで、アンタが泣くんだ?」
「―――・・・ねぇよ・・・」
否定はしたが、膝が震え立っていられない程だ。
失うことに慣れていると思ったのは気のせいだった。
慣れてなどいない。本当に大切なものは何一つ失ってなどいない。
「俺ァ、まだ働けるよ」
「―――駄目だ。もう剣は持つな」
「ここにいたいんだ」
「駄目だ」
困ったように見つめてくるその瞳。
「俺は・・・お前を、失くしたくねぇ・・・」
死と隣り合わせの戦場に身を置き何時いなくなっても不思議ではない状況の中で、その赤は現実を俺に叩きつけるのに充分だった。
縛り付けてでも部屋から出さない。
そう告げると総悟は顔を伏せた。
「だから、知られたくなかったんでィ。俺ァ、死ぬときはアンタの隣で死ぬって決めてんだから」
叶えてはやれないその望み。
俺はお前の死に顔など見たくない。
「お前は死なねぇよ」
呟いたのは俺の願い。
血を吐いたのはそれが初めてだという総悟を、無理矢理医者に診せた。
案の定、診断の結果は労咳。滋養と安静を取るようにと言われた。
近藤さんの動揺は激しいものだった。
俺もこんな風に取り乱したのだろうかと、近藤さんを見ながら思う。
俺は静かに立ち上がると、その部屋を後にした。
「っかしいなァ。アンタより先に死ぬ予定はなっかたのに」
俺の顔を見た途端、総悟は言った。
「死ぬ死ぬ言うな。安静にしてりゃ治るっつってんだろうが」
「そうかィ」
呟いた総悟は窓の外に視線を向けた。
「・・・人を呪わば・・・、って言うもんな。呪いすぎて呪詛返しが来たのかもしれねぇなァ」
「お前が本気で俺を殺そうとしてたなんて思ってる奴ぁ、誰もいねぇよ」
「・・・・・」
総悟はちらりと俺を見ると、つまんねぇな、と溜息を吐いた。
「寝てろよ」
「寝てるよ」
俺の言葉に乱暴に返事をして、総悟は頭から布団を被った。
屯所ではゆっくりできないからと、郊外の別荘に移された総悟をろくに見舞ってもやれないまま、半年が過ぎた。
状況は真撰組にとって思わしくない方向へと動いていた。
攘夷の連中が力を付け始めたのだ。中心にいるのは高杉と天導衆。
従わない者は幕府を初め、町人も天人も仲間だろうと容赦はなかった。
幕府はあっという間にその地位を奪われ、真撰組も追われる身となった。
他の人間がどうなったかは分からない。とにかく、江戸には居られなかった。
どちらの味方でもない医者の私有地にいる総悟に危険が及ぶ事はまずないだろう。
江戸を発つと決めた翌日、俺は総悟の元へと足を運んだ。
部屋に入り、その顔を見た途端俺の身体は強張った。
「久し振りだなァ、土方さん」
すっかり痩せてしまった身体を布団の上に横たえたまま、顔だけこちらに向けて総悟は笑った。
「・・・元気そうじゃねぇか」
「そうかなァ?毎日つまんなくってよ」
「その内、嫌って程こき使ってやるよ」
薄っすらと口元に笑みを乗せて俺を見る総悟の頬に触れた。
やつれても、綺麗だった。
細い髪も、瞳も、唇も。
愛しくて、何度この身体を抱き締めたいと思っただろう。
拒絶されてもその想いは止められなかった。
―――風邪なら、うつせばすぐに治るのに
何時か、そんな会話をした事を思い出した。
あの時総悟は自分の病気に気付いていたのだろうか。
どちらでもいい。
俺は呟くと、彼の唇に触れた。自分のそれで。
総悟は飛び起きると、俺の顔を見た。信じられない、と言った目だ。
「あの時こうしてれば、今頃仲良く枕並べてたかもな」
「―――何か、あったのか?」
「ねぇよ」
時々異常に鋭い総悟に笑いかけ、俺は彼の手を取った。
「・・・何、考えてんだ?」
総悟は疑うように俺の目を覗き込む。
こうして彼は消えてしまうのだろうと、残酷なまでに儚く綺麗な指を見て思う。それは抗えない現実に思えた。
俺は徐に細い身体を引き寄せ、今度は深く口付けた。
角度を変え、その唇を、舌を貪る。
弱い抵抗が止んでも、離さなかった。
終わりなど来なければいい。時間が止まればいい。夜など、明日などいらない。
「―――土方さん・・・」
気付くと、総悟は泣いていた。
「何でだよ・・・。どうして、最後みたいなんだ・・・?」
俺は何も言えなかった。
決断の時は迫っていた。
「・・・次は、何時来る・・・?」
総悟の涙を指で拭い、俺はその耳元で囁いた。
「―――直ぐに、会える」
言うなり、俺は立ち上がり総悟に背を向け、その部屋を出た。
消えていくのを見たくなかった。
俺の見えない所で知らない所でひっそりと、一秒でも長く生きていて欲しかった。
笑って欲しかった。
近藤さんは最期まで抗うのを潔しと思わなかったのだろう、俺達は袂を分かち、彼は死んだ。
彼らしく、最後の最後まで幕府を守って、逝った。
俺には真似できなかった。
それでも、死に場所を求めて来た北の大地で雪景色を見ながら、俺は後悔していた。
何も告げなかった事、独りにしてきた事に対する後悔。
いつか俺に見せたあいつの不安気な顔を思い出す。
深い雪の中。閉じ込められるような感覚に、俺は総悟の気持ちを理解した。
お前のいない場所でなど笑えない。
お前もそうだろうか?
どうか雪が総悟に届かないように。
今はもう、そっと祈るだけ。
追っ手は何処までも来る。今となっては待ち遠しいほどだった。
何もかもに逆らい、けれど運命だけは自分で決める。
終わりはすぐ其処だ。
俺が先かお前が先か。
それでも、もうすぐ会える筈だから。
この世の果てで―――――
終
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アリエナイ〜。
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