月の影
「――――――離せっ!」
急に銀時が取った行動に寒気が走った。
身も知らぬ男に組み敷かれた記憶が蘇る。
そして、それよりも恐ろしい記憶。
アンタもなのか?アンタも急に俺を裏切るのか?
「近付くな」
他人の生々しい体温が怖い。
それ以上に中途半端な、冷たい優しさが怖い。
「――――沖田・・・」
銀時ははっとした様子で沖田から手を離した。
夢中で銀時から離れる。
解らない。
自分の感情が解らない。
何を求めているのか。何がこんなに不安で仕方ないのか。
「・・・こっちに来い。何もしねぇから」
銀時は震える沖田にそっと声を掛けた。
怯える犬か猫を呼ぶように。
「俺が、怖いのか?」
怖い。
この、誰より優しいこの人が怖い。
自分の望みを真っ直ぐに聞いて、叶えてくれるこの人が怖い。
「・・・頼むから、突き放してくだせェ」
もう二度と希望など持てないくらいに。
誰にも縋る事など考えられないくらいに。
そうすれば、ようやく心から感謝出来る。
「無理だ。首突っ込んだのは俺だ。最後まで面倒見るよ」
「・・・・余計な事なんだよ!」
沖田は叫んだ。
「どうして知っちまったんだよ!?どうしてあのままでいさせてくれなかったんだよ!?最後って何時だよ!?」
何も知らない銀時が傍に居るだけで良かった。
まやかしであっても、安らぎだった。
“最後”
そんなものいらない。
銀時に求めたのは解決などではない。依頼じゃない。仕事じゃない。
「―――――だから、最後ってのは、最期だろ?」
「――――――」
沖田は銀時を見つめた。
「絶対、死んでも傍に居てやるから」
「――――――・・・」
ふ、と先程の自分の中の激情が消えるのが分かった。
「それは・・・、どういう意味でィ・・・?」
「沖田君、言葉までわからなくなっちゃった?」
笑う銀時を、信じられない気持ちで見つめる。
「お前の望むもの、全部やるって意味」
――――――――望むもの・・・?
動きを止めた沖田に、銀時はゆっくりと近付いて来た。
二度と何にも脅える事のない様に。
全てから守り、幸福な夢だけを見せて。
そんな風に傍に居れたらどんなにいいだろう。
でも、それは無理なのだ。
どんなに絶望を知っても、歩き出すのは自分の足でなければ意味がない。
「俺が怖いか?」
もう一度、銀時は沖田に訊ねた。
そして、沖田は頷く。
「・・・怖、い」
俯いた彼の、その恐怖を取り除く術が見つかれば。
心からの願いというのは何故、こんなに儚いのか。
だから、沖田は願うのかもしれない。
叶える事などとうに諦めた願いをまだ、あの月に託すのかもしれない。
「俺の絶対は、絶対だ」
銀時は繰り返すしかなかった。
彼の望みなど解らない。
これが正しい事なのかも解らない。
あの声が何だったか、思い込みなのか。
それでも願い、繰り返すしかない。
「お前には俺が居る」
伝われ。
世界の全てが止まった気がした。
―――――――ああ、この言葉が聞きたかったんだ。
と、思った。
幼い頃から願い、求めていたのはこれだったのだ。
そう思った。
届かないと思っていた声は届いていた。
虚しいだけだと思っていた願いは叶えられた。
この瞬間が終焉だったなら。
それはもう願わない。
―――――――ありがとう。
目の前の銀時に、口には出さずにそう言った。
別れの言葉のように思えたから、言えなかった。
もう一度力を振り絞って立ち上がる。
銀時と別れた後沖田は屯所へ戻り、土方の元へ向かった。
「総悟」
土方の顔を見た途端、身体が竦んだ。
「――――どうした?何かあったのか?」
震えだす唇を一度ぎゅっと強く結び、沖田は口を開いた。
「俺・・・、ようやく解ったんでさァ」
立ち上がり、近付いて来た土方が腕を掴む。
振り払いたくて仕方ない衝動に駆られたが、堪えた。
「俺は・・・、アンタが好きだった。子供だった俺はアンタに甘えて、守ってもらう事ばかり考えてた。だから、裏切られた気がした」
「―――――」
「今なら解るよ。土方さんも、俺の事愛してくれてたんだって」
土方が息を飲んだのが分かった。
「・・・どうして、全部過去形なんだ?」
「もう終わりだからでさァ」
「・・・・・・」
腕を強く引かれ、沖田は顔を顰めた。
「もうアンタが何しようと、俺の意思は変わらない。土方さんの望むもんは上げられねェ」
「――――何があった?」
その声は酷く辛そうだった。
「・・・俺がどうしようもなかったように、土方さんもどうしようもなかったんだろう?」
「そうだよ。今も・・・、どうしようもねぇ」
近付いて来る唇を、顔を背けて避けた。
「――――――好きで、いさせてくだせェ・・・。俺がアンタを許せる内に、片つけてくだせェ」
長い沈黙だった。
「許す、か」
ぽつり、と土方が零した。
「そんなものいらねぇくらい、どんなに憎まれても、お前を傍に置きたかったんだよ」
返す言葉が見つからない。
何が悪かったのか。
何故、この愛情ではいけなかったのか。
過去など消してしまいたいと、全てを否定し、肯定する。
全て、銀時を見付ける為に辿る道だったのだと。
あの言葉を聞く為に生きて来たのだと。
そして、その言葉をくれたあの人に相応しい自分になる。
新たな願い。
「・・・坂田、なのか・・・?」
「土方さんは悪くねぇよ」
自嘲するように、土方は笑った。
「いや。・・・悪いのは全部俺だ」
土方は名残を惜しむように沖田を強く抱き締め、離した。
「解放してやる」
「土方さん―――――」
長かった呪縛から解き放たれる気がした。
それは過去の思い出からではなく、土方からでもなく、ただ庇護を求め続けた愚かな弱い子供の自分。
「さぼってんじゃねぇぞ」
ぼこ、と頭を叩かれ、いい音がした。
「旦那もどーぞ。ここの団子美味いんですぜ」
「知ってますー。この界隈の甘味所制覇してるっつーの」
「ま、一個どーぞ。奢りやす」
「・・・一本じゃなくて一個ね」
昼下がりの団子屋。
緋毛氈に座る沖田の隣に、銀時は腰を下ろした。
「お姉さんの調子はどう?」
「・・・こないだ退院したって言ってやした。最近は調子いいみたいでさァ」
「土方君はどう?」
「いっつも怒ってやす」
「局長さんはどう?」
「いっつも居やせん」
一頻り沖田の身辺の様子を聞いた後、世間話をする。
何時もの会話。
さぼりに万事屋を利用するのを止めた沖田は、こうしてあちこちの店に出没している。
銀時はどこからか嗅ぎ付けてはふらりと現われて、沖田と話して帰る。
ここの所繰り返されている日常。
「――――旦那ァ、俺ァ、礼なんか言いやせんからね」
「何の?」
意地悪く言った沖田に、銀時はしれっと返す。
その空気に安心して、沖田は瞼を閉じた。
「・・・たださぁ・・・、」
銀時が呟く。
「何時か、何年先でも、年十年先でも、お前がいいって思ったらさぁ・・・」
銀時らしくない、歯切れの悪い言い方に沖田は隣のその人を見た。
「・・・触っても、いい?」
「―――――――え・・・」
沖田は目を瞠った。
平静を装うその横顔がみるみる赤くなって行く。
つられて沖田の顔も熱くなった。
「こんな汚ぇのに、触りてぇんですかィ?」
「うん。つか、汚くないし。つか、返事は?」
銀時は立ち上がると沖田に背を向けた。
「・・・本当に何十年も待てんのか、試してみてェ」
「俺の絶対は絶対だから」
そう言って、来た時同様ゆっくりとした足取りで歩き出す。
「ありがと」
何に対しての礼なのか、しばし沖田は考えた。
団子一個の礼か。それとも、何十年後にはいい、という返事に対してなのか。
「でも多分、そんなには待たせやせんぜ」
沖田の呟きは銀時に聞こえたか分からない。
終
*******
難しかった・・・(溜息)
戻る