月の宴
今夜こそはどうしても見てみたい。
土方は一升瓶を片手に目当ての部屋へと続く廊下を歩いた。
色付き乾いた木の葉が音もなく落ちるこの季節にもなると、足に感じる温度も冷やりとする。
ふと見上げると月が浮かんでいた。暗闇にぽっかりと空いた穴のようなそれは、無言で土方を照らす。
何かが起こりそうな胸騒ぎがした。
「勘弁してくだせェ」
土方の姿を見た途端、沖田はげんなりと言った。
「うるせぇ、今日こそは俺が勝ってやる」
「飲み比べでアンタが俺に勝てるワケねェでしょう」
「未成年のクセにエバって言うな」
今年の花見でも先につぶれたのは土方だった。醜態に近い姿を自分だけ曝して、沖田の酔い姿というものは一度も見た事がない。沖田がある程度酔っているのは分かるのだから、もう一息だと土方は思っている。
宴会という形では年末まで飲めない。非番が重なるのを待ち、土方は度々沖田の部屋へと通っていた。
「肴は?上手い酒じゃないと俺ァ飲みやせんからね」
「酒は上等、肴はこれで充分だろう」
言って、土方はぱしんと、障子を開けた。
眩しいほどの満月に沖田は目を細め、口の端を上げた。
「へェ、粋なこと言うじゃねェか」
「生意気な口叩きやがって」
土方は杯に酒を注いだ。とくとくという音が静まり返った部屋に響く。
「じゃあ、今度先に土方さんが寝たら顔に落書きしやすぜ」
沖田はにやりと笑って油性ペンをかざした。
「う・・・」
一瞬たじろいた土方は、それなら先月の口紅の方が良いと思った。顔にも身体にも着物にもキスマークだらけで酷い目に合ったが、それを沖田が付けたのだと思うと何故かそれほどの怒りは湧いてこなかった。
それどころか嬉しい気さえしてしまう自分をおかしいのではないかと疑う。
「酔うとか言う前に、アンタ疲れてるんでさァ。気付くと何時も一人で夢見てる」
「・・・夢なんざ、ずっと見てねぇよ」
土方は口元に薄く笑みを乗せた。
安らぎや楽しみなどという事を最近考えたこともなかった自分に気付く。
今こうしてるのは安らぎであり、楽しみなのかもしれない。沖田は土方が本当に疲れている時や真剣な時には、ふざけた事もせず大人しく、少し離れて近くにいる。そんな彼を知っているから、度を過ぎた悪戯も目を瞑ってしまうのかもしれない。
「・・・お前、好きな女とかいねぇのか?」
何気なく聞いた言葉に、沖田は目を見開いた。
「何いきなり聞いてんでィ?今そんな話してたか?」
「・・・いや、お前は俺みてぇじゃなく、ちゃんと安らげる場所作らねぇとな・・・」
いつか俺がいい女見つけてやる。
そう言って笑うと、沖田は意外にも怒ったように土方を睨んできた。
不味い事を言っただろうか?
土方は考えたが、理由が分からない。嬉しそうに照れる顔を予想していた。
「女が、土方さんの安らげる場所なのかィ?ここじゃ安心できねェってんだな?」
「・・・俺の事じゃねぇよ」
「そう言ったも同然だぜ。でも、アンタの安らげる女ってのもまだ見つかってねぇんだ。自分もまだのクセに人の心配してんじゃねぇよ、余計なお世話でィ」
絡み上戸なのだろうか?土方は可愛くない、と内心腹立ちながらも我慢した。
「俺は探してねぇからもういいんだよ。ここでいい」
「・・・じゃあ俺もここでいい」
沖田はころりと横になった。
良くはないだろう、と土方は思う。この年になっても一向に女に興味を示さない沖田が心配だ。こうして休みになると押し掛ける自分にも問題があるかもしれないが、放っておくと沖田の休みはだらだらで終わるからそれも心配だ。
父親の心境の自分に苦笑する。
「あ、笑った」
そんな土方を指差して沖田は唇を尖らせた。
「何笑ったんだ?やらしいこと考えたんだろう?すけべ〜。土方のすけべ〜」
「・・・手前、実は酔ってねぇか?」
土方は眉を寄せ、一升瓶を月明かりに照らしてぎょっとした。何時の間にか半分以上減っている。
「馬鹿言うなィ、酔ってません〜」
「だったら絡むんじゃねぇ」
冷たく言うと、沖田は急に悲しそうに目を閉じた。
「・・・冷てェ、土方さんは俺に冷てェ・・・」
「おいおい」
沖田の瞼の間から水が溢れ出てきて、見間違いかと土方は思わず自分の目を擦った。本当に涙らしい。
今度は泣き上戸だろうか?
「俺が悪かった。お前もう飲むな」
土方は一升瓶を沖田から遠ざけた。
「ひでェ!飲めって言ったり飲むなって言ったり!俺ァどうしたらいいんでィ!?」
「だから、飲むな」
「・・・ひでェ〜。覚えてろよ、土方このヤロー」
沖田の酒癖は悪いらしい。閉口するが、まだ可愛い方だ、などと思う。
「飲んでもいいが、お前寝たら落書きしてやるからな」
意地悪く言ってちらりと沖田を見ると、その目はほんの少し、とろんとしている。
―――今夜はもう引き上げようか、目当てのものは見れたし。
そう思い、土方は杯を空けようと傾けたが、それを沖田が横から奪った。
驚く土方の前で沖田は土方の杯を飲み干す。
「いい加減にしねぇとマジで吐くぞ」
言った傍から沖田は口を手で押さえた。
「・・・早く言えよ、気持ち悪くなったじゃねぇか」
「お前なぁ・・・」
土方は仕方なく沖田の背を擦った。
「ペース早ぇんだよ、まだ一時間経ってねぇじゃねぇか。中毒起こすぞ、吐くなら吐いちまえ」
沖田はゆっくりと首を振った。
「大丈夫でさァ。・・・土方さん、優しいなァ」
「・・・へ?」
土方は思わず俯く沖田の顔を覗き込んだ。今度こそ幻聴に違いない。
「さっきも、今も、・・・何時も、俺の事考えてくれてんだって、知ってたよ」
言って、沖田は土方の目を見つめてきた。普段決して見ることの出来ない、頬を染めて潤んだ瞳の沖田。
土方は言葉を無くして彼を見つめ返した。
「優しいから俺みたいなのに付けこまれるんでさァ。・・・優しいから、好きなんだ」
「総悟・・・?」
嬉しさよりも戸惑いの方が大きい。普段見れないどころか、初めて見た沖田に土方はどう答えていいか分からず、ただ不器用に背を撫ぜ続けていた。
「・・・俺ァ、女なんていらねぇよ・・・。近藤さんと土方さんが、居てくれれば・・・」
「ばか、んな事言うんじゃねぇ。お前はまだまだ幸せに・・・・」
言葉を切ったのは、我ながらクサいセリフだと照れたからではない。
沖田が唇を合わせてきたのだ。
「・・・あ、やっぱ嫌じゃねェや。・・・実は一辺してみたかったんでさァ」
ほんの少し触れてすぐに離れたが、笑って言った沖田に、土方の中の何かがぐらりと揺れた。
「・・・総悟・・・」
理性の残る頭では、手に力を込めるのを躊躇ってしまう。
「変だよなァ、俺・・・」
否定出来ず、かといって肯定してしまう事も出来ずに土方はそっと瞼を閉じた。
「寝ろ、総悟」
「落書きするんだろ」
「―――しねぇから・・・」
土方は願いを請うように、手を沖田の肩に置いたまま項垂れた。
「じゃあ、忘れるんだ?なかったことにするんだ・・・?」
顔を上げると、本当に酔っているのかと疑いたくなるようなすっきりとした目で沖田が土方を見ていた。
「・・・しねぇよ・・・。もし明日、お前が今の覚えてたら・・・」
顔が赤くなるを感じた。自分は何を言おうとしているのか。
「覚えてたら?」
沖田が問い掛けてくる。
抱き締めてみたい。
そう思ったが言葉にはならなかった。思わず目を逸らし、土方は考えた。
覚えていたらどうしたいのか。自身に延々と問い掛ける。
「――――好きだ」
長い、長い沈黙の後、ようやく小さな声で呟くように言った土方は、沖田が眠っている事に気付いた。
「・・・・・・」
そっと沖田を布団に横たえると、土方は静かにその部屋を後にした。
明日が来るのが待ち遠しいようで、どこか怖い。
そんな風に未来を待ち侘びる気持ちも幼い頃以来だと思い、土方は再び月を見上げた。
その明かりが優しく感じられた。
終
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酔いどれ話。
もう一つ考えてるので、完成できるか?ですけど書いてます〜。
激情もうんうん唸りながら書いてます・・・。
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