立場が違う事など知っている。
目の前の闇に全てを捧げて。
そうした筈なのに、何時の間にか再び同じものを背負っている事に気付く。
惨酷なほど、あっけなく記憶は薄れていくのに、時として鮮やかに蘇る。
過去と現在。
その間で無様に足掻く、己の生の意味。
知る術も解らないまま。
まだ、終わらない―――――――
出発までに数ヶ月の時間を要した。
志士達の動向など何一つ分からない。たった一人で、常に見張られた状態で出来る事など限られている。
沖田はひたすら、高杉を討つ事だけを考えて道場に通った。
そうしてその時を迎えた時、以前の自分より格段に力が上がっているのを感じていた。
――――――殺れる。
手錠を掛けられ、高杉の後に従って船に乗り込みながら、沖田は息を潜めてそのチャンスを狙っていた。
「沖田」
艦の先頭に立った高杉は前を向いたまま沖田を呼んだ。
躊躇う沖田の肩を、背後に居た志士の一人が掴んで前に押し出す。
「―――――離せ、一人で行ける」
が、男は沖田を見張るように背後から離れない。
沖田の思惑は既に皆承知なのだろう。
「存外、あっけないものだな」
高杉はそう言うと近付いた沖田の腰を引き寄せ、唇を合わせてきた。
「――――――あ・・・、」
人目を気にして押し返そうとする沖田の手首を掴む。
「最後まで抵抗するんだな」
「――――当たり前・・・」
言って、高杉を見上げた沖田は言葉を失う。
何度も自分に言い聞かせてきた事実が、ここに来て再び揺らぐのを感じた。
――――――敵は、高杉。
「これで・・・、最後か」
呟いた高杉は沖田の胸を勢い良く衝いた。
バランスを崩した沖田は先程の志士にぶつかる。
再びしっかりと肩を捕らえられ、沖田は身を捩った。
もしかしたら、ここで何の役にも立たず終わるのだろうか。
その恐怖から、沖田は急いで辺りに気を配った。
何でもいい。何でもいいから、武器を。
そう思った沖田は自分を拘束する背後の男の腰にある刀を見た。
「――――――」
まさか。
「お前の事はあの時・・・、銀時を殺せなかった時点で俺の負けだった」
――――――え?
高杉の言葉に沖田は耳を疑い、彼に視線を戻す。
ゆっくりと近付いてくる高杉は何時もの笑みさえ浮かべてはいない。
「そうだろう?―――――銀時」
目を見張る沖田の、肩に置かれた手がぴくりと動いた。
「・・・・・」
まさか。
彼の刀は木刀だった。
でも、まさか。
ゆっくりと振り向き、見上げた視線の先にあるのは・・・、被った笠から覗く整った唇と鼻先。
そして、眠そうな瞳。
「―――――旦、那・・・?」
「何時からバレてた?髪まで染めたのになぁ」
「つい先刻だよ」
正直だよな、お前。
呟き、高杉は目を細めた。
沖田に触れた途端、空気が変わったのに気付かない訳が無い。
「手前が此処に居るって事ぁ、こっちの動きは筒抜けか」
銀時も表情を崩さない。
「応戦準備は万端だってよ?」
「―――――そうか」
そこで、高杉は口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ、決戦は江戸だ」
無言を返す銀時との間に、最早沖田も、周りの存在も介入出来ない。
火花が散った様に見えたのは一瞬。
手錠の鎖を切り、銀時は沖田の手首を掴むと素早く身を翻した。
突然の事にどよめき立つ志士達の間をすり抜け、予め用意していたらしい艦に乗り込むと一気に急降下した。
「―――――逃がすんですか」
高杉の背後に立った武市は刀に手を掛けていた。
「大将自ら、我等を裏切ると言うんですね?」
艦の上がざわざわと騒がしくなった。
皆高杉の行動にうろたえ、動揺を隠せない。
「そうだな・・・、お前等さえいなかったら、あいつを裏切る事も手離す事もなかっただろうな。邪魔だが、背負ったもんは仕方ねぇ」
武市は眉を顰めた。
「・・・どういう、意味ですか?」
「――――私情はこれまでだ」
言い切り、高杉は兵に向き直った。
「こっちの情報は掴まれてる。いいか、誰が何人死のうと手前だけは生き残れ、そして最期まで戦え」
目的はただ一つ。幕府を潰す。
生きて帰る事など有り得ないと、言外に含む言葉。
しかしその号令に、離れかけた兵の気持ちが再び一つになる。
「―――――やはり、貴方には敵いませんか・・・」
もともと敵う筈など無い事は承知の上。ずっと見続けて来た高杉が裏切りを働くとはどうしても思えない。
何時もぎりぎりの所で彼はこちらに戻って来る。
武市は溜息を吐くと刀を鞘に戻した。
「来島!」
「はい!」
呼ばれて直ぐ、来島は高杉の足元に跪いた。
「お前は俺の傍を離れるな。盾になれ」
「は!」
言われなくても命を懸けて守るつもりではあったが、慈悲のないその科白に来島は感動を覚えていた。
こうして自ら「守れ」と言われたのは初めてだった。傍に居る許可を得たのだ。
興奮した面持ちでそっと高杉を見上げ、来島は目を瞠った。
――――――晋助・・・、様・・・?
見た事も無い程穏やかな表情。
高杉の視線は銀時と沖田が去った方向に向けられていた。
「―――――旦那!旦那・・・!」
ものすごい勢いで吹き付ける風に耐えながら、沖田は銀時を何度も呼んだ。
生きている。
手も足も、ちゃんとある。
動いている。
前方を見つめる銀時の横顔を見上げると、涙が出そうだった。
猛スピードで低空飛行を続け、一時間程経った頃だろうか、銀時はようやく艦を岸に着けた。
「迎えが来る筈だけど・・・、予定より早く見つかったからまだ来てねーかな」
そう言って、銀時はようやく安堵の溜息を洩らした。
そして、沖田を見て微笑む。
「・・・生きてて、良かった」
「―――――アンタこそ・・・!」
何度も駄目かもしれないと思った。諦めが胸を掠めた。
背中にしがみつくと、よしよしと頭を撫でられた。
「怪我は!?傷は大丈夫なのか!?何時からあそこに居たんだ!?」
「ん、ちょっと待って」
銀時は船を飛び降りた。沖田も慌てて後を追う。
「おいで」
振り向き両手を広げる銀時に、夢中で抱き付いた。
「―――――旦那・・・!」
「よく、一人で頑張ったな」
抱き締め返す力の強さ。変わらない温もりに自然、涙が溢れた。
「もう大丈夫だから。一瞬三途の川見えたけどちゃーんと戻って来たから。真撰組様々だけどな」
「―――――うん・・・!」
その後銀時に見せてもらった傷跡は生々しく、死線を彷徨った事を窺わせた。
「大丈夫、生きていれば何とかなる。俺にもお前にも仲間が居る。・・・今も、待ってんだろーよ」
こくりと頷いた沖田は空を見上げた。
この穏やかな空はほんの一時。今夜、もしくは明日には、江戸の空は戦火に染まるのだろうか。
「・・・もう、一人であいつ殺ろうと思うなよ。その力は守る為に使えよ」
言い聞かせるように銀時は沖田にそう言った。
「俺も、もう平気だ。戦える」
もしも憎しみの力が劣っていたら、今日も足手纏いになったかもしれない。
諦めなくて良かった。
高杉を憎んで・・・・、良かった。
「俺なんか目に入らねぇくらい必死に稽古してたもんな」
笑う銀時に、沖田は驚いた。
「居た、居た。一ヶ月くらい紛れ込んでた。抱きつきたくなるの堪えるが一番辛かったなぁ」
でも駄目。
銀時は僅かに厳しく、口調を変えた。
「アイツ殺んのは俺。躊躇ったら間違いなく死ぬから。あん時の俺みてぇに」
「俺ァ、躊躇ったりしねぇよ!」
「――――つか、躊躇ってやってくれ」
「――――――」
沖田は目を見開き、銀時を見つめた。
「お前一人くらい、躊躇って、泣いてやってくれ」
「―――――旦那・・・?」
地獄はこの世にあると思い知らしめた、攘夷戦。
全てはあの瞬間から始まった。
仲間が焼けていく光景を、光を失くした目で見つめていた高杉。
もし――――、
「あの時裏切ったのがアイツだったら。あん中で蹲るのが俺だったら。立場、逆だったかもな」
「まさか!旦那は絶対アイツみてぇにはならねぇ!!旦那は――――」
「ほんとに、そう思う?」
言葉が返せなかった。
呆然と見返すだけの沖田に、銀時は微笑って口付けた。
“だからお前、生きてただろ?”
唇の間から洩れた科白に沖田は何も言わず、ただ口付けで返した。
こうして触れ合ったのは何時が最後だっただろう?
失った時間を取り戻せたら。もう一度、全てなかった事に出来たらいいのに。
――――――でも、忘れるなって、アンタは言うんだ。
有りのまま、全てを受け止めて前へ進めと。・・・そう、言うんだ。
銀時が、決して交わる事無い沖田と高杉の想いを全部受け止めた様に――――――
「――――俺は、旦那が・・・、好きだよ」
「・・・ん、」
頷いた銀時は穏やかな表情を浮かべていた。
それは、沖田が初めて見る顔だった。
―――――重なる陰をもう、否定しない。
勝利の風はどちらに吹くのだろうか。
到着した真撰組の車が二人に近付いて来る。
「――――行くか」
促す銀時に沖田は頷いた。
終
**************
これ以上は・・・、この貧困な脳みそじゃ・・・、無理。(ここまでも充分無理無理)
と、いうワケで終了です。
言い訳はいっぱいしたいけど・・・!我慢します・・・!
ありがとうございましたっ!!そしてごめんなさい!!