この手が掴むのは




ハウルはいつも優しく私を抱いてくれる。
大切なものを扱うように、そっと触れてくる。

でも、その日は違った。焦ったように、いつもと違う力で引き寄せられた。
「どうしたの?」
驚いて尋ねた私の言葉に何も答えず、ハウルは星色に染まった髪に顔を埋めた。

ハウルは最近家を空ける事が多くなっていた。また何かやろうとしている、それが私にはわかった。
ただ、また何も言ってくれないことが悲しい。

「ハウル・・・」
そっと名前を呼んで優しく、そして精一杯彼を抱きしめる。それが私にできる唯一の事。

長い夜が過ぎ、私は目を覚ました。ハウルの荒々しい動きに翻弄されて気を失うように眠りに落ちたのを覚えている。
「ごめん」
そう呟く彼の声が耳に残る。
隣にハウルの姿はなかった。


一階に下りてカルシファーに薪を渡して、、
「ハウルはどこへ行ったの?カルシファーなら何か知ってるんじゃない?」
私は薪を抱えて明々と燃え上がる炎を見ながら尋ねた。
「ハウルなら王宮へ行ってるよ。おいらはそれしかわからない。ハウルの奴、何も言わないんだ」
ふてくされたようにカルシファーは言った。
「・・・王宮?キングズベリーの?」
カルシファーは頷いた。
「・・・それより、ソフィー具合悪いのか?顔色が良くない」
「え?」
思わず私は苦笑した。昨夜の事を思い出して、そして、カルシファーが自分を気遣う事を嬉しく思いながら。
「ありがとう。何でもないわ。大丈夫よ」
ハウルと私は結婚した。両方の家族に祝福され、式を挙げた。まだ数週間前の事だ。
穏やかで幸せな時間を過ごしていた。幸せだった・・・、筈だった。数日前、急にハウルの行動が分からなくなるまでは。
浮気の癖が出たとは思えない・・・多分。
そこまで考えて、私はふと不安を覚えた。彼が身だしなみに気遣わないほど心奪われる誰かに出会った・・・、とすると・・・。
「まさか」
私は笑った。
恋に落ちた彼の瞳を知っている。自分を見つめる、あの蒼い瞳。他人を愛する事を覚えた孤独な魔法使い。
そんなのじゃない。
昨日の彼はむしろ、大切なものを守るために鳥の姿になった時のように、暗い影を背負っていたように思える。
「荒地の魔女がお呼びだよ」
カルシファーの声に我に返り、私は慌てておばあちゃんの部屋へと足を運んだ。
今夜、ハウルに会ったら必ず確かめる。
そう決心しながら。


ハウルが帰ってきたのは深夜だった。
私はテーブルに座って彼を迎えた。
「お帰りなさい」
「寝てなかったんだ?」
少し驚いたようにハウルは言った。
「眠れるわけないでしょう。教えて。今度は何をしようとしてるの?」
率直に尋ねた。回りくどい事は言えない性質なのだ。
真っ直ぐに見つめると、ハウルはその顔に安堵の表情を浮かべ、小さく息を吐き出した。
「昨日はごめんよ。ちょっと、追い詰められてて・・・」
「怒ってなんかないわ。甘えていいのよ。私にできることならなんだってする」
ハウルはその魔力の強さ故、他人に苛立ちをぶつける事さえできない。相手を傷つけてしまう恐れがあるから。揺るがぬように、その精神を保ち続ける強さが痛々しいと思う。本当は脆いのに・・・。
「・・・僕は、王宮付きの魔法使いになろうと思う」
「そう」
予想はしていたので驚きはなかった。
「・・・私達の為に自由を捨てるの?」
それが一番気にかかることだった。
「僕は今、自由が欲しいとは思ってないよ。一番大切なものは手に入れたから」
ハウルはにっこりと微笑んだ。その拍子にイヤリングが揺れる。
「それは以前から何度もサリマン先生にも薦められてきたし、今の生活に都合もいい。もうすぐ家族も増えるし」
「へえ?また誰かここに来るの?」
私は首を傾げた。
「君のお腹にもうすぐ来る」
「え?」
私は思わず自分のお腹を見つめた。
「・・・そんな、まだわかんないわよ。気配だってないし」
「それが、サリマン先生の占いに出てしまったんだ」
「占いを信じたの?」
「いや、占わなくても分かるさ。夫婦円満だからね」
「ハウル!」
片目を瞑るハウルに、私は笑った。頬が熱くなる。
「だから、王宮使いになるのは君と結婚する時に考えていた事だから、問題じゃない。向こうの方から是非にと言われるのを待っていたのさ。ただ、時期が悪い」
そこで急にハウルはその顔を曇らせた。
「時期?」
「・・・また、戦争になる」
私は思わず立ち上がり、その反動で椅子が音を立てて倒れた。
「小競り合いを最小限で食い止める為の、平和の為の戦争だと言いたいが、戦いは戦いだ。言い訳のできない、侵略戦争だ」
「―――嫌よ!!」
「・・・うん」
一気に血の気が引くのが自分でもわかった。
終わったばかりの、あの悲惨な戦争がまた行われるというのだ。
「この国に被害は出ないよ。今回は遠征だから」
「そんな問題じゃないわ!あの、私達の町が焼かれた時の事を覚えているでしょう?あれがまたどこかで繰り返されるのよ!そしてまたあなたが戦渦に巻き込まれるのよ!」
「世界のどこかで、戦争は必ず起こっているよ」
ハウルは静かな瞳で私を見つめている。もう、既に決心しているのだ。
「・・・他に、方法はないって・・・、言う事・・・?」
「そうじゃない」
「・・・じゃあ、逃げましょう。ハウルの力でどこの世界にでも行けるじゃない。戦争のない所へ逃げるのよ!」
「同じなんだ。僕の力は何処へ行っても異端視される。この力は消えないんだ。戦争のない世界は、人間のいない世界だよ」
「・・・・・」
「他の方法は、王様を説得する事。・・・この数日僕なりに頑張ったけどね。僕が断ればきっとこの戦争は長引くだろう事も予想できる」
ハウルは苦笑した。
私は全てがわかった気がした。
甘えて、と自分で言ったのに。戦争と聞いただけで取り乱した私に何が出来ただろう。ハウルは一人で悩むしかなかったのだ。
「ごめんなさい、ハウル」
「うん。で、僕なりに出した結論。迅速に、最小限の被害で戦争を終わらせる」
「行かないで・・・、って言うに決まってるものね。私は」
ハウルは静かに微笑んだままだ。
「もし、命が危なくなったら即効で引き返して他の世界に逃げよう」
「うん。そうして。絶対に逃げて」
「本当にそんな危険はないよ。侵略する小さな国に魔法使いはいないから。大国同士の戦争になったら僕も悩まないで逃げるけどね。ソフィーの言う通り違う世界ははいくらでもあるし」
私はハウルを抱きしめた。
「ハウル。信じるから。ハウルの言葉全部信じるから、嘘だけは吐かないでね」
「今言った事は全部真実さ」
あくまでハウルは笑っている。昨日の彼が嘘のようだ。


もっと、強くなりたいと私は願う。
そして、もっと確かに彼をこの手に抱きしめたい。心の隅で震えている筈の彼を―――



全てはハウルのいう通りに終わった。
戦争は極短い期間で終了し、大きな被害も出ぬまま、インガリーの勝利で幕を閉じた。
インガリー国、キングズベリー宮殿付き魔法使いハウルの貢献は絶大で、私達はすぐに安定した生活を手に入れることができた。もう、どこにも逃げる必要はなくなったのだ。
そして、サリマンの予言通りもうすぐ家族も増える。




ハッピーエンドは存在しない。
私がこの手に掴めるものは何だろう?
きっとこれでもまだ何も終わらない。私の命が消えても世界が存在する限り戦争は繰り返される。
悲しみも悩みも途切れる事はない。

けれど・・・

最後の最後にはきっと、彼の震える心を抱きしめられるように――――――
彼の全てがこの手にあるように――――――


私は願い続けるだろう・・・。





END