はじまり




「 何かあった? 」
久し振りに会ったアンナは病院を出て二人になった途端、おもむろにそう言った。
「 何か? 」
う〜ん、と葉は腕を組んで考えたが思い当たらない。
そう言えば、と顔を上げた。
「 ああ、オイラ持ち霊ができたんよ。阿弥陀丸って… 」
「 見れば分かるわよ 」
アンナは相変わらずだった。
「 友達もできたぞ。まん太って… 」
「 ああ、あの水饅頭ね 」
葉の言葉を冷たく遮ると、アンナは違うわよ、と怒り出した。
「 あんたが解らないなら、いいわ 」
そのまま黙り込んでしまったアンナに、葉はただ戸惑うばかりだった。
―――― 他に変わった事と言えば、あいつ。蓮。
彼に出会ったことくらいだ。
敵なのかそうじゃないのか、ここまでやられた今も判らない。
彼の金の瞳に映る暗い影は、何故か心に残っていたが…。
だけどその事も、霊から全てを聞き出せるアンナは既に知っている。
「 だとしたら、何だ…?」
思考を巡らせても思い当たる事は、やはり何もない。
「 まあ…、いいか 」
アンナがコワイのは何時もの事だし、と葉は深く考えるのをやめた。


蓮と再び戦う日が来る事は分っていた。
ファウストとの戦いの後、オラクルベルに予選の相手の名前が映し出された時も、葉はそれを静かに受け入れていた。
心配そうに自分を見詰めるまん太の為にも、アンナの為にも、壊す事しか知らない蓮の為にも、自分は負ける訳にはいかない。
その為に、出雲へ出掛けた。
巫者の窟へ入り、かつてない力を手に入れたが、それでも蓮に勝てるという確信は持てなかった。
なんとか、なる。
呟いて、葉は指定された場所へ向かった。

互いの巫力がぶつかり、激しい火花が散った。
二人とも一歩も譲らない中、蓮が仕掛けた最後の攻撃。
全ての巫力を持って向かってくる蓮を、かわす事も止める事も無理だと悟った葉は、彼を受け止める事に決めた。
その事を告げると、大きく開かれた蓮の両の目から涙が溢れた。
「 無理に決まっている!」
そう叫んだ蓮は、“全てを受け止めて欲しい”と全身で語っているように葉には見えた。
誰にも頼る事もなく、破壊する事だけを己の不安な心を満たす手段としていた彼が、崩れ掛けている。
( 蓮の全てを受け止めるのは、オイラだ )
そう思った瞬間、驚くほどの力が体の奥から溢れた。

凄まじい音と閃光と共に、二人の戦いは終わった ―――――― 。


蓮はその後一人で、彼の故郷である中国へと旅立った。
予選の結果は引き分けという事で、二人ともシャ−マンファイト本戦への切符を手に入れた。それは、二人の戦いがこれで終わりではないという意味でもあった。
しかし別れ際に葉に見せた、何かを決意した蓮の瞳には何かを振り切ったような前向きな光があって、葉を安心させた。
もう二度と破壊する行為はしないだろう、という確信が芽生える。
それを寂しく感じる気持ちも同時にあって、葉は戸惑ったが笑顔で蓮を見送った。
これから蓮が赴く場所がどんな所かも知らずに。

予選が終わってからの日々は何時も通りで、この先に在る別れなどは想像もできなかった。それ故に、恐ろしいのか。
――――― だが、葉の心を占めているのは不安ではなかった。
蓮を見送った後ろ姿がやけに胸に残って、ぽっかりと穴が開いたような喪失感があった。
受け止めたその後の事など考えた事もない。蓮は故郷に、自分はアンナの元に帰り、本戦へ向けての準備を整える。
(たったあれだけで、蓮が救われる訳ない)
ぼんやりとする事の多くなった葉に、アンナは探るような視線を投げかけたが、それにすら葉は気が付いていなかった。
だから、馬孫が助けを求めに葉の家に飛び込んできた時は、いきなり現実に引き戻されたかに思えた。蓮に何かがあった。それを知ると躊躇いもなく葉は蓮の居る中国へ旅立つ事を心に決めていた。






両手を頭上で拘束された状態で、それでも蓮が葉に向けた、強い力の篭った瞳。
どんな時にでも揺るがないその光が、眩しかった。
葉は目を細めてその光を見詰めた。
「 オイラの友達はみんな強えからな。・・・蓮」
自分の口から発したその響きが、とても愛しく感じられる。
―――――― 何時の間に・・・。



再会してから、一層自覚は強まっていた。
蓮は変わった。だけど、変わる前から自分は蓮に惹かれていた。
それにいち早く気付いたのは、アンナで…。
以前アンナに誓った言葉も嘘じゃない。
今でも変わらず、アンナを大事にしたい気持ちは胸にある。
道家での晩餐が終わった後、葉は一人で切り立った山々を眺めていた。
「 氷がゆっくりと溶け出すのを、見ているみたいね」
不意に背後からアンナの声が響き、葉は振り向いた。
「 蕾が開き出すみたい、と言った方がいいのかしら?」
誰の事を言っているのかは、直ぐに察しがついた。
「 …私も、あんな風だった?
私の頑なな心を開いたのは、あんただわ。葉」
感謝、している。そう言ったアンナに、葉は驚きで目を見開いた。
「 どうしたんだ?アンナ 」
思わず額に当てようとした手を思い切り払い除けられて、アンナらしいその行動に葉は少しほっとした。
「 重荷に思われるのはイヤだって言ってんのよ」
「 そんなこと、思ってないぞ 」
にっと笑う葉に、アンナは辛そうに瞳を臥せた。
「 …ヤな男。あんたは、何を選ぶの? 」
「 オイラは、シャ−マンキングになるだけだ。何も選ばんよ」
それは葉の本心だった。自覚したからといって何も変わる事はないと信じていた。
「 いいのよ。…でも私は、あんたを愛してる」
冷たい風が二人の間を吹き抜けて、その言葉を攫う。
アンナはそっと顔を上げると、柱の陰に佇む存在に声を掛けた。
「 あんたも、葉がシャ−マンキングになればいいと思ってるんでしょう?」
葉が振り向くと、柱の陰からゆっくり姿を現わした蓮は真っ直ぐアンナを見据えた。
「 シャ−マンキングになるのは、この俺だ 」
ふわり、とアンナは微笑んだ。普段は決して見せない表情だ。
こんな時、やはりアンナはかわいいと思う。
しかし、眉一つ動かさず目の前の者を見据える、凛とした蓮の気配には。
視界に収めてもいないのに、その気高い精神が自分に伝染してくるようで、震える。
――――― 心が。
「 そういう事に、しておいてもいいわ 」
言って、アンナは屋敷の中へと姿を消した。
「 厄介な感情が在るんだな−… 」
ぽつりと葉が漏らした言葉に、蓮は聞こえるか聞こえないかの声で、
「 そうだな… 」
呟いた科白は肯定で。蓮にも理解できる感情なのか。
その事に葉は興味を引かれた。
「 …触っても、いいか? 」
当然の如く拒否されると思ったが、意外にも蓮は何も言わなかった。
それを許諾ととって、葉はそっと蓮に近付いた。
壊れ物を扱うようにゆっくりとその細い腰に手を廻す。
息が触れ合うほど近くに蓮の気配を、直に感じた。
「 …やめろ。お前は俺に近付くべきではない」
「 いいんよ。アンナが、いいって言った 」
身じろぎもせずに蓮が言う言葉には説得力がない。
触れて欲しいのか、そうじゃないのか。葉を否定する意味では無い事のみ、理解できる。
色々な考えが葉の頭の中を逡巡した。
だが、拒否されてもこの手を離せる自信はなかった。
アンナの声に出さない叫びを無視する事は難しかったが、葉の心も身体も既に一つの所へ向かっていた。
――― 何も、変わる事がない ―――
それは、或いは自分への願いだったのかもしれない。
どうしようもなく引き摺られる己を認める事は、不安と恐怖がつきまとう。
風に身を任せるように、どこまでも自由でいたかった。
誰を傷つける事もせずに、大切なものは全て全力で守る。
そんな自分が揺らぐ、恐怖。
蓮が傷ついた時おそらく自分は、他の全てを捨てても彼を守るだろう。
感情に支配されるかもしれない、未来の自分に恐怖する。

寄り掛かったまま動かなくなった葉に、蓮は焦れるように声を掛けた。
「 おい。何時までそうしている… 」
微かに頬を朱に染めた蓮の口を塞いだのは、ほとんど無意識だった。
驚きで見開かれた瞳を確認すると葉は瞼を閉じて、更に口付けを深くした。
空気を求めて逃れようとする唇を追い掛けて、その温かい口内に侵入した。
歯列をなぞり柔らかい舌に触れると、蓮の身体が震えた。
「 ・・・あっ、・・・ 」
苦しげに寄せられた眉と荒い息遣いに煽られて、抱きしめる腕に力が篭ってゆく。
その時、引き離そうと葉の肩に掛けられていた手が、力をなくして滑り落ちた。
はっとしてその顔を覗き込むと、蓮は瞳を閉じたまま呼吸を繰り返していた。
その表情は、深い口付けに酔いしれているようで、それなのにどこか辛そうで…。
受け入れるのを拒めない、そんな風情だ。
それでも彼が自分を求めている事は痛いほどに感じた。
蓮が拒みたがる理由も理解しているつもりではあったが、葉が思っているよりもその傷は深いのかもしれなかった。
腕を名残惜しげに放すと、蓮は身体をよろけさせながら葉から離れた。
「 貴様が何を考えているのか、理解できん 」
「 オイラも、よく分らん。でも、我慢するのはカラダにもココロにもだめなんよ。
この想いは消せない。結局みんな傷つくなら、最初から受け入れた方が楽だ」
見つめる葉の視線から、逃れるように視線を外すと蓮はぽつりと、
「 俺は、そんな風には思えない 」
呟いて背を向けた。
蓮は全てを一人で抱え込んで生きるから、葉の考えは理解できても真似することはできないのだろう。
そんな蓮に、余計愛しさが募る。
この望みが叶えられる瞬間は、果たしてあるのだろうか ―――― 。
諦めによく似た、それでも小さな望みに縋る、今までの自分には決してなかった感情が身体の奥の方から涌き上がって来るのを感じて、葉は口元だけで笑った。
「 … それでも、いい … 」
蓮の背中に向けて呟いた。


吹き付ける風と絶え間なく注がれる月明かりの中、葉はこの“はじまり”を噛み締めていた ―――――。










end


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葉×蓮を書くにあたって、最初からシャ−マンキングを葉×蓮視点で見直しました。
おお、見える見える、これは葉と蓮の愛の物語だったのねっ!とか思えたのは良いのですが、こんなエピソ−ド一々書いてたらえらい長くなるって!と思い、大分削ったのですが、今度は展開の早さに我ながら辟易で・・・、瑞夜ちゃんに助けを求めた所、「訂正はない」との有り難いお言葉。うっうっごめんよ、また機会があったら書かせて下さい。お誕生日プレゼント、ということで、謹んで差し上げますv
裏話
「そろそろ最遊記以外の小説書かなきゃな−・・・」と呟いた私に向けられる瑞夜ちゃんの視線。
それはうるうる、というよりも・・・おねだり?の視線に近い。小首を傾げられても・・・。
ちょっとたじたじになった私に、ようやく瑞夜ちゃんは一言。
「もうすぐ私の誕生日なのv」
は−い。分りました−。




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