奇跡という出会い



夕刻。下校する生徒たちが楽しそうに歩く中、千尋は一人、歩いていた。
夕焼けの空を見上げると、今でも涙が溢れそうになる。
初めてハクに出会った時を思い出すから。
あの時は幼すぎて、“別れ”という事を理解してはいなかった。もう、会えないという事。

千尋達が神隠しにあってから、5年の歳月が流れていた。
現実に戻った当初は騒がれもしたが、両親が何も覚えていないので周りもそれ以上詮索もできず、皆事件そのものを忘れかけていた。千尋は勿論、何もしらない振りをした。
しかし、学校では今も時々噂される。
―――― あの子、昔神隠しにあったのよ。と・・・。
それでも友人はできた。学校生活が苦痛ではないほどの、あまり親しくはない友人達。
あの、10歳の時の非現実的な体験が、千尋にこの現実こそが別世界のように見せていた。あまりにも平和で、嘘のようだ。どちらも本当に存在しているのに、交わらない。心にぽっかりと穴が空いてしまったような感覚。
自覚もないままに本当の恋もした。だから、千尋は同級生の中でも大人びて見えるらしい。

会いたい。

薄れるどころか、千尋の中では日々その想いが強くなる一方だった。
あのトンネルにも何度か足を運んでみたが、不思議の扉は千尋の前に開かれる事はなかった。
俯くと零れそうになる涙を堪え、千尋は家路についた。


「 千尋 」
不意に名前を呼ばれたのは、千尋の家の近くの公園。
懐かしいその声を、千尋が聞き間違える筈もない。
不満があるわけではないが、千尋は家にいる事があまり好きではなかった。偶にこうして公園で時間をつぶす事もあった。昼下がり、子供達のはしゃぐ声が響く、のどかな時間。
信じられない思いで、しかし千尋は振り向くのを躊躇った。また、夢かもしれない。そんな恐怖が襲った。
「 千尋 」
もう一度名前を呼ばれ、千尋は耳を塞いだ。
「 嘘。嘘だ。都合がいいよ。そんなことあるわけない 」
独り言を呟き、千尋は目を瞑った。が、
――― 夢でもいい
そう思うと、千尋はぱっと目を開けて勢い良く振り向いた。
「 ハク! 」
目の前に立つ人物に、千尋は声を上げた。
記憶の中より大人びた彼は、昔より穏やかな微笑を浮かべていた。
「 嘘、嘘。本当に会えた 」
千尋は慌てて駆け寄ると、その着物の端を掴んだ。
「 ・・・本当だ。本物だ。夢じゃない! 」
「 ・・・久し振り。千尋、大人っぽくなったね 」
「 ハクの方が!背も伸びたし! 」
そのまま、二人は見詰め合った。互いに言葉が出てこなかった。
そして、ふと周りの子供達が自分を見ていることに千尋は気付いた。
「 どうしたんだろう。着物、そんなに珍しいのかな? 」
「 ・・・私は他の人には見えてないから 」
ハクはそう言うと苦笑した。それでは、周りからは千尋が一人で騒いでいるように見えるのだろう。それを想像して、千尋は笑った。
「 でも私、変な子だって皆に思われてるから今更いいや! 」
「 千尋・・・ 」
困ったような表情を浮かべるハクに、千尋はもう一度笑顔を向けた。
「 こんな奇跡があったんだから、他はどうでもいいの 」
「 奇跡じゃないよ。千尋のお陰なんだ 」
え?と顔を上げた千尋を、ハクは強く抱きしめた。
「 ありがとう。ありがとう、千尋。私は何度千尋に助けられただろう 」
「 ・・・ハク? 」



二人は近くの川辺へ来た。
「 千尋が私の名前を取り戻してくれたお陰で、私は湯屋から出る事が出来たんだ 」
「 ・・・ずっと考えてたの。ハクはどうして湯婆の所へ行ったのかって。魔法使いになって、何をするつもりだったのかって 」
「 ・・・・・ 」
真っ直ぐに見つめる千尋から目を逸らして、ハクは口を閉ざした。そして、
「 私の、愚かな考えを正してくれたのも、千尋なんだ 」
「 ・・・愚か? 」
ハクは少しの間を置いて、思いきったように口を開いた。
「 復讐。私はそれのことしか頭になかった。千尋に会うまでは 」
千尋は眉を顰めた。
「 私の居場所を奪った、・・・人間に、思い知らせてやる為に・・・。私は感情を捨て、魔法使いに魂を売った。弟子と言う名前のみで、現実は従僕に成り下がっていたけれど・・・ 」
一言一言を振り絞るように、ハクは続けた。
「 名前を取り戻してからは対等に魔法を教わった。5年も、掛かったけれど 」
「 魔法使いに、なれたの? 」
「 千尋に会うために、どうしても魔法を使えるようになりたかったから 」
そう言って、ハクはようやく千尋を見た。
「 ・・・軽蔑した? 」
千尋はぶんぶんと首を横に振った。
「 ごめんね、私達人間のせいでハクの住む川は埋められちゃって、川に住む竜神を追い出しちゃって。きっと、まだまだそんな川はあると思う。ううん。川だけじゃない。木も、山も・・・! 」
言いながら、千尋は泣いていた。
「 ・・・だから、私の川を取り戻してくれたんだね? 」
ハクはそっと千尋の涙を指で拭った。
千尋は驚いてハクを見上げた。その瞳に、また涙が溢れてくる。
「 ―――― でも、できなかった・・・! 」
千尋は堪らず、顔を両手で覆った。
「 埋められちゃった川は元に戻らなかった!琥珀川の名前を残すだけで・・・ 」
「 ・・・だから、私の帰る場所が出来て、千尋に会いに来れたんだよ? 」
あれから千尋は、ハクの川を戻そうと行動した。協力者はいたが、千尋達の力では川の跡に小さな石碑を残す事で精一杯だった。それからも千尋は、失くなる川や、汚れる川を無くすために休日はほとんどその為に行動していた。そんな千尋を同級生達が親しく見れないのも仕方がない事だろう。
「 千尋。人間全てを恨んでしまった私を許しておくれ。今は、感謝の思いしかないから 」
「 許して欲しいのは私達だよ。助けてもらったのは私だよ、ハク。命を救ってくれたのに、何にもできなくてごめんね 」
「 ――― 泣かないで、千尋 」
ハクは泣きじゃくる千尋の肩を抱いた。
「 私が心を失わなくて済んだのは、千尋のお陰なんだから・・・ 」
そう言ったハクの瞳も、微かに潤んでいた。
「 約束を、守れたのも・・・ 」
別れる時に「きっと会おう」と誓った、その言葉。
千尋は涙をぐいっと手の甲で拭うと、ハクを見た。
「 うん。会いたかった。すごく、すごく会いたかった。約束がこんなに怖いものだなんて、初めて知ったよ。疑いそうになる自分と、何回も喧嘩した 」
でも、約束していて良かった。
千尋はそう思った。
強い自分は5年前の異世界で手に入れた。一人でも、あの頃を、ハクを思い出せば元気になれた。どんな小さな事でも自分に出来る事がないかと考え、行動した。全て、ハクに誇れる自分になろうと思ったからだった。
「 千尋はとても、とても綺麗になったね・・・ 」
優しく見つめるハクの瞳に、千尋の胸がどきどきと音をたてた。
「 ハクはもう、いなくならない? 」
「 うん。ここを守る為に、ずっといるよ 」
「 恋人が神様で魔法使いだなんて、私らしくてすごくいいと思う 」
ハクの目が驚きに見開かれる。
「 ――― そんなこと言って、いいの? 」
「 うん 」
にっこりと笑うと、ハクの白い手が千尋の手首を優しく掴んだ。
引き寄せられ、そして、ゆっくと落とされる、初めての、口付け。

きっと、この為に私は生まれてきた。

石碑に寄り添うように生きる、風変わりなお婆さんになる覚悟は出来ていた。

大好きな、大好きな人と会える幸せ。

それは他のどんなことよりも素晴らしい事―――――――












書きながら泣いてしまいました…。アホですね、私。


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