一緒
見送る少女の悲しげな瞳が脳裏に焼き付いている。
幼い自分の胸に生まれたそれは小さくて。
でも抜けない棘の様に何時までもちくちくと痛んだ。
道場に通う沖田は道すがらその少女と何度か擦れ違い、何となく顔を覚えた頃「好きです」と言われた。
彼女の手の中の小さな桃色の花を受け取り、沖田は礼を言った。
身も知らぬ相手が好きだと言ってくれる事が不思議で堪らなかった。
でも、嬉しかったのだと思う。
江戸に出ると決めて、それから大した会話も交わさなかった少女にそれを告げた時、彼女の泣きそうな表情につられそうになった。
ふと、姉の事を想った。
ミツバもきっと、顔では笑っていても本当は泣きたいのではないかと思った。
沖田には置いて行く自分達男の辛さよりも、姉や少女の置き去りにされる気持ちの方が何倍も辛いのではないかと思えた。
江戸に出て来てから、何度か顔を合わせた町医者の娘に告白された。
薄れ掛けていた小さな傷の痛みが蘇り、ちくりと胸を刺す。
「俺ァ、何時死ぬかも分からねぇ稼業なもんでねェ」
などと、土方の事を思い出しながら言った。
何て都合のいい、自分勝手な断り文句だろう。
ただ自分達は彼女達の想いを受け止める自信がないだけなのだ。
はっきりと断る勇気も無くて。向けられた想いを無かった事に出来なくて。
一人で居るのは、仲間と居るのは楽だ。背負うのは己の命のみ。
ただ、俺も土方さんも卑怯な弱虫なんだ。
――――――一生抜けない棘を抱えたまま、俺達は最期まで足掻くのだろう。
血に塗れた自分を見て、彼女達は、姉はどう思うのだろう。
志士を切り捨てた後、沖田はその動かなくなった身体を見下ろしながらふと考えた。
「総悟」
呼ばれて振り返る。
―――――ああ。
きっと、この人も同じ事を考えた事があるのかもしれない。
土方の嫌にぎらついた、獣のような瞳を見て思う。
近付いて来た土方は黙ったまま、沖田の額の傷を舐めた。
「・・・アンタも、血だらけですぜ?」
そう言って笑うと、土方は目を細めて沖田を見つめる。そして、唇を合わせてきた。
そうして・・・、だから、自分達は傷を舐めあう関係に堕ちたのだ。
だって、アンタは決して居なくならない。
俺達は多分死ぬ寸前までこうして肩を並べて同じ物を見ている。
それは昔刺さった棘と同じなのか、ただの甘えなのか。
そんな事はどうでもいい。
返り血と汗に濡れた黒髪に指を差し入れた。
最初の接吻も血の味がした。
――――――初めて人を斬った夜。
どうしようもない感情を持て余し、けれどそれをぶつける相手も術も見つからず、膝を抱いて蹲っていた。
無言で沖田の部屋に入って来た土方は、そんな姿を見て何を思ったのか。
「着替えくらいしろ。手当てはしたのか?」
問い掛ける言葉にぴくりと反応して、沖田はのろのろと自分の服に手を掛けた。
初めてがむしゃらに振り回した真剣。
何時やられたのか解らなかったが、沖田は腕を斬り付けられた。
見ると、まだ鮮血が溢れ出てくる。
思わずそれを舌で拭った。
「・・・マズ」
気が付くと土方が目の前に座っていた。
「大丈夫でさァ。ちゃんと手当てして着替えて寝るから」
微かに頷いた土方は沖田の腕を取るとその唇を傷口へと近付けた。
「・・・マズイでしょ、俺の血。色は綺麗なのになァ」
笑って引こうとした腕は土方にしっかりと掴まれて動かない。
「・・・土方さん?」
丁寧に舐め上げていくその舌の動きはやがて、こびり付いた血液さえも舐め取り、違う動きを見せた。
流石に沖田は何時もと違う土方の様子に気が付き、眉を寄せた。
「――――も、いいよ・・・」
ざわりと、味わった事のない、快感に似た感覚が生まれる。
それがはっきりと快感なのだと知ったのは、土方の唇が自分のそれに合わさった時だった。
驚き以外なかった。
自分で脱いだシャツ。ズボンのボタンも自分で外していた。
そんな風に見られていると気付いていたら決してしなかった、無防備過ぎる行為。
組み敷かれてしまったら、抵抗など空しいものだった。
衣服を一気に引き下ろされ、急所でもあるその部分が外気に晒され彼の手が絡まるともう、身動きも出来なかった。
「―――――土方さん・・・っ!?」
呼吸が上がる沖田の耳元で囁く。
「好きだ」
「――――――」
土方の言葉に、更に沖田は混乱した。
「―――――っ、だって・・・、アンタ・・・、姉上は・・・!?」
突然の恐怖と混乱を溶かしたのは、沖田の身体を抱き締めた土方の一言だった。
「お前とアイツは、違う」
―――――違う。
確かに、土方はそう言った。
だからって全て納得してそうなった訳ではないのだが、少なくとも抵抗する意味を失った。
そうして始まった関係だった。
きっと、こうしてこのまま終わるのだと思っていた沖田の思いは思いがけない形で裏切られる。
突然の病の宣告に言葉を失った。
身体がだるいと告白した沖田を土方は引きずるように病院に連れて来た。
白い壁に囲まれたその部屋で。
瞳を見開いたまま隣を見ると、黒いそれが見返していた。
辛そうに揺れた一瞬後。
何事かを決めたようにその瞳は冷たい色を帯びて行く。
沖田は余命を知った時よりも、遥かに深い絶望を感じた。
置いて行く。
置いて行くつもりだ。
何時ものように、俺の事も置いて行くのだ。
解りたくなかった。
彼女達の気持ちなど理解する事などないと思っていた。
でも、本当は心の何処かで理解していた。それは例え様の無い恐怖だったのかもしれない。
実際その状況に置かれた自分は哀れで、彼女達のように笑って見送る事など出来ない。
「―――――嫌だ!!」
置いていかないで。
独りにしないで。
縋り付く自分の姿は傍からは見ていられないほど滑稽で情けないのだろう。
「ここから動くな」
屯所に戻り、そう言った土方に向かって叫んだ。
溢れる涙を止めようとも思わなかった。
そんな沖田を土方は見下ろし、そして直ぐに背ける。
――――――同じなのか?
彼にとっての自分はあの日無下に江戸に置いてきた女と、振り切ってきた女達と同じなのか?
それだけは嫌だった。
言ってくれ。
特別だと。
だって、確かに違うじゃないか。
俺は違う。アンタだけは違う。
生まれて初めて沖田は自分の気持ちを、泣きながら、叫びながら他人に告げた。
例えば、“大切だから”“お前だけは幸せになって欲しいから”そんな風に土方が思っていたとしても。
そんな偽善的な奇麗事など一つも望んではいない。
そんな事は彼女達に言えばいい。
「だったら何で、俺を抱いたんだよ!?」
その言葉に土方は身体を強張らせた。
「―――――何だよ・・・、まさか本当に・・・」
女の代わりだった・・・・?
がくりと力を失い、沖田は土方の足元に膝を付いた。
「・・・俺は・・・、アンタを誰の代わりとも思っちゃいなかった。あの人達とアンタは違う。・・・・アンタも俺と同じ事考えてると思ってた・・・」
焦がれなかったと言えば嘘になる。
無償の愛情を与えてくれるであろう、あの場所に行けば安らぎがある。
でも、そんなぬるま湯に浸かって、立てなくなるのが怖かった。
だから、彼が良かった。
「――――総悟」
静かに自分を呼んだ土方に、沖田は顔を上げた。
「俺も、代わりなんて思っちゃいねぇよ。ただ――――、死なせたくねぇだけだ」
「はは」
思わず笑いが洩れた。
「誰に言ってんでィ?そんな風に守られて、俺が喜ぶとでも思ってんですかィ?アンタは俺の何を見てんですか?」
「―――――・・・」
土方は息を呑んだ。
俺達は男で。
馬鹿な生き物で。
だから、いいんでしょう?
「来るか」
差し出された手に、子供の様にしがみ付いた。
「―――――アンタだけは・・・、土方さんだけはそう言わなきゃ嘘だろう・・・?じゃなきゃ、今までの俺達は何だったんでィ・・・?」
自分を解るのは彼だけだと信じている。それだけは揺るぎない。
だから、もしも立場が反対でもきっと自分も彼に告げる。
「戦場で足手纏いになったら・・・、」
「ああ」
土方は笑った。
「俺が斬ってやる」
その一言に沖田はようやく、心から安堵した。
俺達はそういう関係だろう?
綺麗な場所から一番縁遠い所で。
何処までも。最期まで。
泥に塗れよう。
一緒に。
終
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久し振りに書いた駄文。
病ネタばっかやってる気がしてきた(汗)
今年最後の一本でした☆