花弁
ひらりと胸に落ちて来て、するりと指をすり抜けたのは、花弁。
来年もまた花弁は落ちるけれど、すり抜けたそれとは違うもの。
僕は舞い落ちたその花弁を、ただ見つめていた。
その笑顔がかけがえのないものだと気付いた時、既に彼女は他の人のものだった。
愛していると、この気持ちがそうなのだと、気付くのに時間が掛かりすぎた。
隠す事は出来る。嘘も吐ける。
けれど、なかった事にはできなかった。
「総司、恋をしてるだろう?」
近藤さんの言葉に、僕は思わず振り向いた。
「いい反応だねぇ」
そんな僕の顔を見て、近藤さんは笑った。
「―――恋、とはどういったものなんでしょうか?」
「・・・そうやって悩む事。誰かの事で頭一杯になってるんだろう?」
不思議だ。僕には他人の事などまるで分からない。何故近藤さんは顔を見ただけでそんな事が分かるのだろう?
「面倒臭いんです。そういった事は。だから僕は、恋なんてしてません」
「そんなのは理由にならないよ、総司。自分がどう思おうが関係ない。感情なんだから」
俺に言ってみてよ。
そう言った近藤さんを僕は見つめた。
―――でも、言ったら近藤さんは困るでしょう?
僕の頭一杯になっているのは近藤さんの大切な人なんだから―――
「俺は、お前が可愛いんだよ」
「―――僕は・・・」
近藤さんの優しい瞳を見つめ言葉を無くした。
幼い頃からこの人は親以上の存在だった。
他人の僕に、何時でも惜しみなく慈しみの手を差し伸べてくれる人。
「・・・僕は・・・、近藤さんが好きですよ」
「総司?」
微笑を消して僕を見る近藤さんからゆっくりと視線を外すと、僕はそっとその部屋を出た。
「まさか・・・」
近藤さんの呟きは僕の耳には入らなかった。
その日、ほんの少しの油断で僕は手傷を負ってしまった。
かすり傷だと思っていたそれは、夜になっても血が染み出し、ずきずきと痛んだ。
夜中、一人こっそりと抜け出した僕は井戸で傷口を洗った。
「―――やっぱり・・・!」
気配に気付かなかったとはらしくない。
振り向いた僕の目に飛び込んだのは、灯りを持った夜着姿の桜庭さんだった。
「桜庭さん・・・。どうして・・・」
「様子がおかしいと思っていたんです!やっぱり怪我されてたんですね!?」
彼女が気付いていた事に驚き、僕は咄嗟に怪我をした左腕を庇った。
「―――大丈夫です。大した事はありません」
それよりも、僕は彼女を見ることが出来なかった。
「駄目です、沖田さん!ちゃんと薬を付けなくては膿んでしまいます!」
「自分で出来ます。それよりも・・・、桜庭さん、そんな格好で出て来ては・・・」
「気にしないで下さい」
そう言って、彼女はにっこりと笑った。
「女だと思わないで下さい。私は同士です。・・・はい、見せて下さい」
差し出された手に、知らず、僕は腕を預けていた。
傷口を洗い、塗り薬を擦り込んで油紙を当てる、桜庭さんの白い手をずっと見ていた。
「―――貴女は、女性ですよ」
「え?」
僕の言葉に顔を上げた彼女から目が離せない。
何だろう。
押さえられない気持ちなど本当にあるのだろうか?
どうしてこんなにも抱き締めたいと思うのだろう?
手当ての終わった腕を右手で撫で、僕の手は自然と桜庭さんの肩へと伸びていた。
その時、背後で襖が開く気配がした。
「――――総司」
聞き慣れた声に、僕の身体は強張った。
桜庭さんの肩に置いた手が震える。
彼女はそれに敏く気付いたようだった。
「傷を、負ったのか?」
「沖田さんったら水で洗いっぱなしにしてるんですよ。今手当てしましたから大丈夫です。・・・でも、ちょっと深い傷だったから熱が出るかもしれません」
少しの沈黙の後、再び近藤さんが僕を呼ぶ。
「総司?・・・どうして、こっち見ないかなあ?」
「・・・沖田さん?」
頑なに背を向ける僕に、桜庭さんも心配そうに顔を覗き込んできた。
「総司、お前は悪い事なんてしてないよ」
子供をあやす様に、近藤さんの声は優しかった。
僕の大好きな声だ。
僕は桜庭さんの肩から手を下ろすと、ゆっくりと振り返った。
「すみません、近藤さん」
「それは、何に対しての謝罪?傷を負った事かい?それを黙ってた事?今振り向かなかった事?それとも、他に何か謝る事があるのかな?」
「―――近藤・・・、さん・・・」
「どれも必要ないよ」
え?と近藤さんを見ると、声と同様、その目も優しく細められていた。けれど、どこか寂しげに揺れている。
「謝る必要なんてない、って言ったんだよ」
―――それは、どういう意味なのですか?
問い掛けようとした唇が震えた。
「桜庭君は大切な同士だ、という意味だよ」
思わず彼女を振り向くと、彼女は少し首を傾げて困ったように僕を見た。
「何のお話か分からないのですけど・・・、私が同士ではいけませんか・・・?」
「いいえ・・・!」
自分の頬が紅潮するのが分かった。
彼女が既に局長と結ばれているの思ったのが単なる勘違いだと気付いたから。
―――けれど・・・。
けれど、間違いなく、近藤さんは桜庭さんを特別に想っている。
僕がこの思いを秘めなくてもいいのだと、負い目など感じなくてもいいのだと、近藤さんは言ったのだ。
無理だった。
その時の僕はただ、彼女が近藤さんを愛してくれるように祈る事しか出来なかった。
泣きたいほど、二人が大切だった。
僕の祈りが届いたのかどうかは分からない。
けれど、あの晩から二人が少しずつ近付いていくのを見守っていた僕は、きっと二人は今も一緒にいるのだと思う。
病の床で、僕は近藤さんを想う。
そして、彼女を。
桜庭さんを思い浮かべると胸を襲う、痺れるような焦燥感、確かな後悔。
もしも、あの白い手が真っ直ぐに僕に伸びて、大きな瞳が僕だけを見つめてくれたら―――
何度生まれ変わっても、きっと近藤さんが居る限り僕は彼女を抱きしめる事は出来ないと、そんな確信だけはあるのに、この恋情は止まない。
けれど、不快ではなかった。
他人を愛する事ができたという心地良い満足感を、ただ静寂が包んでいる。
それは寂しいけれど。
幸せかもしれなかった。
その時、ふと、二人の声が聞こえた気がした。
障子を開けて外を見た僕は、空耳だと一人笑った。
「・・・近藤さん、桜庭さん、知ってますか?後悔とは、辛い事じゃないんですよ」
指をすり抜け、落ちてしまった花弁を見つめるのは少し悲しいけれど。
それはきっと、もう一度前を見る力になる。
終
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めちゃめちゃ悩んだ〜。一月くらい考えた〜。
どっちも選べない〜(←ばか)
失恋編になっちゃった〜。どうしても横恋慕で暴走する沖田さんが書けないっ!!
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