花散の里











 日没が近くなるにつれ、風が出てきた。
 僅かに空いた窓の隙間から、獣の咆哮に似た音が漏れ出てくる。
 八戒はそれを閉め、窓の向うに広がる景色に目をやった。
 のどかな里。暮れなずむ春霞の山。
 平和そのものの村に、今日は一日の宿を借りていた。
「……花散らしの風、ですか」
 この村の入り口近くに一本だけ佇んでいた、桜の古木。
 あいにく、この窓からはその美しい姿を見ることは出来ない。そろそろ花びらを散らしはじめた木は、これから強まる風に耐えうることはないだろう。
 なんとなく、惜しい気がした。
 それを読み取ったかのように、背後から茶化す声がかかる。
「花よりダンゴ……ってな。よせよ、今から散歩なんて。もうすぐメシらしいぜ」
 ゆらりと紫煙が軌跡を描く。
 その元にいる紅い髪を見やってから、八戒は微笑んだ。
「そうそう。さっき台所通りかかったらさぁ、スッゲェいい匂いしてたぜぇ。オレ、早く食いてぇもん」
「はいはい。じゃ、散歩するのは僕だけにします。帰りが遅かったら、先に食べててくれてかまいませんから」
「ホント? あ、でも早く帰ってこねぇと、なくなっちゃうかんな」
「それは困りますねぇ」
 そう言って笑うと、隣の扉を開けた。
 一瞬だけ、悟浄の紅い瞳とぶつかる。
「一人で、ねぇ……」
 その意味ありげなため息を、八戒は無視した。





 のんびりと歩きながら村はずれに向かう。
 途中、仕事帰りの百姓や行商人とすれ違った程度で、行き交う人の姿は見当たらない。この時間、人々はみな、夕餉の支度に忙しいのだろう。
 村はずれを目指しながら、八戒は何度か振り返った。それは、敵の気配を探すのではない。平和な風景を目に留めておきたかっただけである。
 風は、だんだんと強くなってきた。
 桜の古木は、案の定、雪を降らせるが如く、花びらをふるい落としている。
 老木のふもとには先客がいた。
 意外な人物であった。
「ここにいたんですか……」
 ごつごつとした幹に、しなやかな背を預け、三蔵が紫煙をくゆらせていた。
「気にいらんのなら、どこか他所をあたれ」
「別に、何も言ってませんけど」
 八戒より先に、タバコが切れたからといって、外に出たのは知っている。だがまさか、ここに来ているとは―――
「……ただ、貴方にしては珍しいなぁ、と思っただけで。花見ですか?」
「うるさいバカ共から離れたかっただけだ」
 短くなった煙草をもみ消し、新しいものをくわえる。煩わしそうな物の言い方はいつもどおりのことだ。特に問題はない。
「あぁ―――綺麗ですねぇ……」
 宵闇の空。薄墨の色の花びらが風に舞い、我先に散ってゆく。
 陽の光のもとで見るより、幽玄さと美しさが絡み合い、それは八戒に恐れに近い感動を与えた。
 傍らの三蔵は煙草に火もつけず、ただ目を閉じている。それを横目で見ながら、彼は彼なりにこの桜を愛でているのだと、勝手に解釈した。
「出来れば……もう少し風が弱まればいいんですが……」
「何故だ」
「何故って―――あんまり早く散ってしまうのが、惜しいじゃないですか」
「来年になったら、また咲くだろう」
「そりゃ、そうですけど」
 右手を目の高さまで掲げる。そうすると、一枚の花びらが、吸い込まれるように掌に落ちてきた。
「来年になっても、多分この木は花を咲かせるでしょう。でもこれとまったく同じじゃない―――自然の産物ですからね。同じようで、違う。だから……僕はこの年の、この木の桜を少しでも長く見ていたい。そう思ったから来たんです」
 強く吹いた風が、せっかく捕まえた花びらさえ奪いさった。
 薄墨の嵐が、視界を濁らせる。
 その一瞬。
「………!」
 唇に柔らかな温もり。
 我にかえると、深い紫の瞳が離れていくところだった。
「―――隙だらけだな」
 手に持ち直していた煙草を再び口にくわえ、三蔵はようやく火をつけた。
「そんなくだらんことを考えているようでは……」
「くだらない……ことですか?」
 煙を吐き出しながら、彼は八戒の顔の横に手をつく。
「桜は桜だ。花が咲こうが散ろうが変わりはない。それとも花が散ってしまえば、価値がないのか?」
「そんなことは……」
「この木にとって今年の花が特別なことか? 毎年のことだろうが。それよりもここまで生き延びた寿命の長さに、俺なら関心するが、な」
 ふいと、近づけられていた顔が背く。
 そのまま彼は、八戒に背を向けた。
「帰るぞ。バカ猿共に、晩メシを横取りされる」
 返事を待たずに、後姿が遠ざかる。
「―――ですね……」
 独り言のように呟くと、右手の薬指で唇に触れた。
 先ほどの短い、それでいて暖かな名残を確かめるように。
 三蔵は振り向かない。無数の花びらが、彼の髪や肩を撫で、闇の中に消えていく。
(でも……やはり僕にとっては―――『特別な花』だったと思います―――)
 同じ花。同じ場所。
 同じ状況で、もうこの桜を見ることはないだろう。
 再び、空に枝を張り巡らす老木を見上げる。
 すべては自然の織り成す、一瞬の奇跡。彼との出会いも、また同じ……
(だから、少しでも―――)
 今の想いを、この情景と共に。
 胸に留めるために開いた瞳の前で、惜しげもなく薄墨は散っていった。
 絶え間なく。
 ただ、風に誘われるがまま。




(終)



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しらさかコメント;
今日(4/3)、近所の公園の桜吹雪があまりに見事だったので、イキオイで書いてしまいました。
「だからどーした!!」なんて言わないでください…本人も解ってません(汗)
今までの最短、なんと1時間半で完成!!
てなわけで、これで!本当にしらさかの38作品ラストです〜(って、合計2本だけ…あう;)


鈴華りんよりv
うわあいvv今見直してもとても素敵すぎぃ〜vvvvv
これぞ三×八!!素人なんて思えませんわよ!焔×三なんて考えてる方の小説には見えませんわよぅvvv(なんてってあんた・・・)
もっと読みたいよぅ!あうあうあう!
やっぱ好きだ・・・。