<風邪はやくなおそ>


「相変わらず仕事の虫だな。遠征から帰ったばかりなんだろ。少しは休めよ」
「そうもいってられません。仕事がたまってるんです」
天蓬が仕事をしているときを見計らう様にして、金蝉は邪魔しにやってくる。
「もっと他にしなきゃならないことがあるだろうよ」
金蝉は自分を指差しながら言った。
「・・・ほかにしなきゃならないこと?」
書類から目を離さずに、天蓬は鸚鵡返しに尋ね返した。
「・・・久しぶりに会えたってのに、わかんねえのかよ」
本気でむくれて、金蝉は天蓬の書類を奪い取った。
「返してください。もう、子供みたいに」
「あとで返してやるよ。用が済んだら」
金蝉はそう言ったが、天蓬の顔色が悪いので眉をひそめた。
「おまえ・・・熱でもあるのか。顔が赤い」
額に額をくっつけると、想像以上に熱い。
「ばかか。仕事なんかしてる場合か」
「でも」
「でももくそもねえ。俺の言うことが聞けないなら、暴れるぞ」
「・・・それはやめてくださいね。わかりました。あなたのお好きなように」
「薬を持ってくるからおとなしく横になってろ。絶対に動くなよ」
駆け出す様に金蝉は部屋を出ていった。
「やれやれ。いつも邪魔するんだから、困った人だ」
言いながら、でも、どこかでほっとしている自分に気づく。
自分の体調のような些細な事柄を、こんな風に気遣ってくれる人がいる。
「困った金蝉・・・やさしくて」
熱のせいだろうか。天蓬は泣きたい気持ちになった。

口移しに苦い薬を飲み込ませて、金蝉は心配そうに瞳を覗きこむ。
「その様子じゃ、下界でもずっと悪かったんだろ。どうして黙ってるんだよ」
「元帥が熱を出したから休ませてくださいとはいえませんよ。幼稚園じゃないんですから」
「似たようなもんだろ。あの、あいつは気づかなかったのか」
捲廉のことだ。
「もちろん気づいてるみたいでしたけど、なにも言いませんでした」
「なんだよそれ。それじゃあ奴は気づいてなかったんだろうよ」
天蓬の捲廉に対する信頼感に嫉妬を感じる金蝉だった。
「そうゆうひとですから」
自分から振っておきながら、捲廉の話題をふたりでするのが馬鹿らしくて、金蝉は無理やり話をそらした。
「それはそうと、なんかほしい物あるか」
「ほしいもの」
「食い物とか、あるだろ。もってくるから」
「ありませんよ。食欲がないんです・・・」
天蓬は細い指で、金蝉の端正な顔をなぞった。
「ああ、ひとつだけありました。金蝉、あなたがほしい」

天蓬の殺し文句に我を忘れて、金蝉は思わず体を重ねてしまった自分をのろった。
いつもこのパターンだ。俺は結局奴の手の上で転がされているだけなのだ。
まるで奴隷だ・・・。

次の日、とおりすがった知り合いが言った。
「あれ、金蝉さん。風邪ですか。はやってますよねえ」
「そうそう、はやってるんだよ。お前も気をつけろよ」
そのまま通りすぎようとした金蝉の耳に、その男の独り言が聞こえた。
「そう言えば捲廉軍大将も調子が悪そうだったなあ。本当に気をつけなきゃ」
「なんだと」
聞き捨てなら無いセリフを聞いて、金蝉の胸はいっそうむかついた。

天蓬と捲廉。ほっとくと危ないのはわかっていた。
天蓬は捲廉を頼りすぎてる。あのひとは頼れる物にはとことん頼るのだ。それが手なのだろう。人をたらしこむことにかけては一流の元帥である。美貌も才能もあるが、なによりも人を魅了するあのまなざし。
それでもあいつを離したくは無いのだ。
風邪がなんだ。治ったら絶対朝まであいつを・・・。

end