迷妄の果て




八戒は窓辺で月を眺めていた。
黒い空にぽっかりと穴が空いたような、満ちた月。
柔らかいその明かりを身に受けながら、同室の三蔵がめくる新聞の音に耳を傾けていた。
他人と同じ空間に居て、こんなに寛げるのは何年振りだろう、と八戒はふと思った。
そして浮かぶ、自分によく似た女の微笑。
――――花喃と暮らした時以来ですね…。
彼女は他人ではなかったが…。
旅を続けている間に、近くに彼らの存在があるのが当たり前になっていた。
悟浄と暮らした三年間にも同じ事を思ったが、昼夜逆転の生活を送る彼とは一緒に居る時間が少なすぎた。今の方が余程顔を合わせているだろう。
仲間、ですか…。
呟いた言葉を他の三人が聞いたら、サムいだの、クサいだの文句を言われるだろう。
八戒はそれを想像して、小さく笑った。
あんなにも他人との接触を恐れていた時が嘘のようだった。
自分と、自分の分身を必死に守って暮らしていた遠い昔―――――――。
記憶を溯って思いを巡らすと、不意に眠気に襲われた。
それに耐え切れず瞼を閉じると、眼裏に一面の花吹雪が舞った。
月の明かりに重なる薄紅の花弁。
こんな記憶は八戒には無い筈だった。
「 ―――― 桜・・・?」
呟いて、八戒は意識を手放した。

八戒の声に顔を上げた三蔵は、窓辺で倒れ込むように眠るその姿に眉を顰めたが、近寄ると小さな寝息が聞こえてきたので、紛らわしいんだよと、毒づいた。
そして、八戒のこんな無防備な寝顔を見るのは初めてだと気付く。
「 何か、あったか・・・?」
先程八戒がしていたように空を見上げると、そこには変わりなく月が浮かんでいる。
意識を失くす寸前八戒が呟いた、あれは…。
「 桜・・・?」




凄い数の桜の木。枝からひっきりなしに花弁が落ちていた。
――――― どこでしょう…。ここは…。
ああ、夢ですね、そう思って八戒は少しほっとした。
しかし、嫌に現実感のある桜。見た事もない風景。
じわりと浮かんだ不安に、どうすれば醒めるのかと考え込む。
「 ここはお前等の来る所じゃねえよ 」
背後から聞こえた声に驚いて振り返ると、木の幹に座り込んで本に目を落とす青年が目に入った。
長い髪に隠れて顔は見えないが、その髪が綺麗な金色をしている事に息を呑んだ。
光。
そう、あの月の明かりに似ている…。
「 ――― 何処なんでしょう?ここは…」
躊躇いがちに問い掛ける八戒に、その青年は顔も上げずぶっきらぼうに答えた。
「 天界だ。何処から迷い込んできたかしらねえが、人間の来る所じゃねえよ 」
ここに人間が迷い込んで来る事などもちろん有り得ないが、青年は特に珍しい事でもないように言い捨てた。
声も心なしか似ているような気がして、八戒は彼から目を逸らす事が出来なかった。
―――― 誰に…。
その人物を八戒は一人しか知らない。
天界。彼は確かにそう言った。
考え込んでいると、青年は苛々と顔を上げて八戒を睨み付けた。
「 じろじろ見てんじゃねえ・・・」
言いかけて言葉を止めた彼から、八戒は慌てて視線を外した。
「 あ、すみません 」
八戒の横顔に向けられる瞳が驚きで見開かれる。
「 失礼ですが、三蔵じゃ、ないですよね…?」
「 あぁ?」
やはり、似ている。
八戒は思わず口元を押さえて笑いを堪えた。
一瞬だけ見えた紫の瞳。整った顔立ち。
前に三蔵が倒れた時に現れた神、観世音菩薩が三蔵を呼んでいた。
確か、金蝉、と…。
では自分は過去の記憶の中にいるのだろうか?だが、天界とはどういう事なのか…?
考えても答えなど出る筈も無く、八戒は思考を止めた。
「 知り合いに、似ていたものですから… 」
「 似ている…?お前の方が… 」
余程、似ている。
その言葉を飲み込んで、金髪の青年―――金蝉は八戒を見つめた。
いや…、雰囲気などはまるで違っている。別人だ。
当たり前だ、あいつから人間の匂いなどする訳がない。
その考えを振り切ったが、どうしても目の前の男から目を離す事が出来ず、そんな自分に金蝉は戸惑っていた。
消えてしまいそうな位細い身体。
目が隠れるほどに伸びた薄茶の髪が風で揺れる。
触れるとたちまち消えてしまいそうな、儚いその姿に、今まで味わった事のない衝動が金蝉のからだを駆け抜けた。
「 ・・・あんまり、見ないでください」
金蝉の視線から逃れるように顔を背けた八戒の頬に、ほとんど無意識に手を伸ばしていた。
「 こっち向け 」
その言葉に誘われるように、ゆっくりと振り向いた八戒は、
「 ・・・貴方は、僕が探していた人かもしれない・・・ 」
声を震わせて囁いた。
花喃に会うよりもずっと前。
ずっとずっと、遠い昔から焦がれていた光が、そのまま目の前に表れた様な感覚。
夢の中でも構わない、一生捕らわれ続けてもいいとさえ、思った。
どちらからともなく唇が触れ、互いの背を掻き抱く。
その存在を確かめ合うように――――。


永遠に感じた刹那は、直ぐに終わった。
金蝉が気付いた時には、腕の中に居た姿は消えていた。
温もりだけが残る手のひらを凝視して、呆然と立ち尽くしていた。
「 あれ−え、人間のにおい? 」
間の抜けた声が背後から聞こえた。
「 にんげんってなんだ?」
「 ・・・イヤ、人間とはちょっと違うか・・・。これは、かなりな美人の匂いだな 」
捲簾と悟空の会話を頭の隅で確認した。
彼は、確かに居た事になる―――――。
不意に、かさり、と草を踏む音が近くで聞こえて、小さく微笑む気配がした。
「 また・・・、こんな所に人間が居る筈ないじゃないですか 」
今はあまり会いたくなかった。
何故、こんなに後ろめたい思いをするのか、自分でも良く解らずに、それでもこちらに視線を投げかける彼を振り返る事が出来ずに・・・。
そんな金蝉に気付く素振りもなく、彼はにっこりと笑っている。
「 ねえ?金蝉? 」
「 美人だったよ 」
言い残して、金蝉はゆっくりと歩き出した。
目を見開く三人をその場に残して―――――――― 。




八戒の突然の覚醒に、三蔵は思わず身を引いた。
眠っていると思ったら、突然跳ね起きて、肩で息をしている。
「 ・・・おい?何かあったのか?」
尋常ではない様子に、思わず問い掛けた。
全身にじっとりと浮かんだ汗と、目の前に居る三蔵に、八戒はここが現実だと悟った。
振り仰ぐと、変わらぬ満月。
ゆっくりと息を吐き出して、三蔵を見上げた。
「 いえ…、夢を… 」
それから八戒は、自分の中に生まれた感情をゆっくりと確かめた。
「 やっと、解りました。僕はずっと、貴方を探していたんです 」
三蔵は訳が分からない、という様な表情をしている。
「 ・・・ここに居る 」
その言葉に知らず、笑みが零れた。
「 寝惚けてんのか? 」
「 …ええ、そうみたいです… 」
八戒は答えながら、再び朦朧としてくる意識の中で、先程垣間見た世界に想いを馳せる。
突然認識させられた三蔵への想いと。

次に目を覚ました時には、全てが幻と消え失せているであろう。
もう、見る事もない夢の続き―――――…。










end

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夢オチ。
はい。夢オチです。
もう・・・。
なんだか桔梗とかごめの間で揺れる犬夜叉の様だ・・・。
と訳の分からないつっこみを自分で入れつつ。
八戒さん、実は金蝉が一番好き!?
いやん、三蔵様〜っ!とか。馬鹿丸出し。
・・・壊れたコメントですみません・・・。