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気がつくと,見覚えのない部屋の中に居た。
「 来たか 」
背後からの声に振り向くと、突然抱きしめられる。
長い金髪がさらりと頬に掛かり、八戒はゆっくりと瞳を閉じて彼の背に手をまわした。
「 宴の席でお前が消えてから、何度も呼んだ 」
「 僕も、貴方の事ばかり考えていました ・・・ 」
金蝉は八戒の肩に手を掛け、少し身体を離すと確認するように瞳を覗き込んできた。
「 お前を此処に置く。もう二度と消えるな 」
「 ・・・・・・ 」
金蝉の言葉に頷きたかったが、八戒にはもう一つの世界がある。
瞳を伏せて黙り込む八戒に、金蝉は眉を顰めた。そんな表情は本当に三蔵によく似ている。
「 ・・・ 僕が此処に居て貴方に触れる事ができるのは、多分満月の夜だけなんです。
僕が貴方に会う事で心配する人がいます。その人の為にも、僕は此処に居る訳にはいかない 」
一言一言、絞り出すように告げた。
「 会いたかったと言ったのは、嘘か?」
「 ・・・ いいえ ・・・ !」
顔を上げて即座に否定すると、金蝉の瞳が柔らかく細められた。
どうしても彼の言葉や表情、仕種の一つ一つに引き摺られてしまう自分に八戒は気が付いていた。
「 強く願う事で想いは叶うのかもしれない。貴方にだったら、一生捕らえられてもいいとさえ、思いました。・・・ でも、その気持ちは今は揺らいでいます 」
誤魔化しや嘘は彼の前で言いたくはなかった。現在の気持ちを正直に金蝉に伝えた。
「 ・・・ 今度は俺が強く願う。お前は帰さねぇ 」
迷う事など許さない、とばかりに金蝉は早口に言うと八戒の唇を捕らえた。
突然息を封じられ、何度も角度を変えて口付けられる。
長く感じた時間は不意に部屋の扉を叩く音で遮られた。
「 ・・・ 金蝉、居ますか? 」
外から聞こえた声に、金蝉の身体がびくり、と反応した。
「 ? 誰ですか?」
問い掛けながら、扉の向こう側に居る人は金蝉にとって特別な存在なのだろう、という事に気がついた。
金蝉は八戒からそっと離れると、扉へ視線を向けて口を開いた。
「 ・・・ 居る 」
八戒もその方向に視線を向け、開けられる扉を見つめた。
静かに開いた扉の隙間からするりと室内へ入り込んできたのは、茶色がかった髪を肩まで伸ばした、整った容貌の青年だった。眼鏡に邪魔されてはいるが、その瞳に映る知的な色は隠し切れずに、見るものを魅了している。
彼の視線が八戒に止まり、驚いたように見開かれた。
「 金蝉。・・・ また厄介な拾い物でもしたんですか? 」
「 手前と一緒にするな。こいつは此処に置く 」
「 あの、僕は ・・・ 」
一方的な金蝉に、八戒は焦って言葉を挟んだ。
「 へぇ・・・、珍しいですね。貴方が執着するなんて。確かに、面白いですねぇ 」
青年は興味深そうに八戒に近寄ると、観察するようにゆっくりと眺めた。
「 観世音菩薩はご存知なんですか?」
「 ・・・ 誰にも言うなよ 」
ふん、と横を向いて釘をさすと、
「 もういいだろう。用がないなら出て行け 」
「 冷たいですね 」
拗ねたように言い、ちらりと八戒に視線をくれる。
その奥に宿った小さな影に、八戒ははっとした。それは、自分を殴った時の三蔵の瞳に映ったものに良く似ていた。三蔵の激しいそれとは違い、彼のは静かに押し殺しているように見える。
「 今日は退散しますよ。今度それ、僕にも貸して下さい 」
「 嫌だ 」
ひらひらと手を振って扉に向かう彼を金蝉は睨み付けた。
ぱたん、と扉が閉まると、八戒は金蝉を見上げて口を開いた。
「 彼は、僕に嫉妬してます。誤解を解かなくては・・・ 」
「 何?」
八戒の言葉に金蝉は驚いたようだ。
「 あいつにそんな感情がある訳ねぇよ 」
本当に気がついていなかったのだろうか・・・。
八戒は考え込んだ。こういう事は案外第三者の方がよく分るのかもしれない。
「 駄目です。特別な人でしょう?」
「 ・・・ うるせぇ ・・・ 」
金蝉は乱暴に八戒の腕を掴むと引き摺るように別室に続く扉へ向かった。
「 誤解じゃねぇだろ 」
言いながら扉を開け、八戒を押し込めた。
薄暗い室内に目を凝らすと、そこは寝室だった。飾り気の無い部屋に置いてあるベッドは、身体を休める事だけが役割であるように見える。
自分を此処へ入れた金蝉の意図がうっすらと読めて、八戒は動揺を隠す事が出来ずに口を開いた。
「 僕は此処に居る訳にはいかないし、彼を放っておく事も出来ません 」
そう言って、金蝉を押し除けようと手に力をこめた。
が、その手を強く捕られ、耳元に金蝉の声が低く囁いた。
「 お前を引き止めるのは、どんな奴だ 」
「 ・・・ 」
八戒はその答えに迷った。全てを話して金蝉が納得するかどうかも解らなかったし、三蔵に言ったように、「 貴方です 」と答える事も出来ない。彼の事も傷つけてしまうかもしれないという恐怖に駆られた。
「 ・・・ 僕の、恩人です 」
漸く、八戒はそれだけを口にした。
初めて会った時から金蝉に惹かれていた。それは、自分でもどうしようもない感情で、全てが始めから決められていたかのようにさえ思える。そして、相手も同時に自分を求めているという事実。この想いを成就させる為にどんな犠牲をも払えるかもしれない。三蔵や先程の青年の存在すら、昔愛した自分の半身も、仲間も。過去の罪も脳裏から消え失せてしまいそうな程の誘惑。
手を伸ばせば全てが手に入るかもしれない、そして同時に全て失うかもしれない。
誰も傷つかずに済む方法がないのならば、自分が後悔しない道を選ぶしかないのだ。
――――― でも ・・・。
「 僕は、いつか必ず後悔します。そして、貴方も同時に 」
誘惑と迷い。激しく翻弄される感情に、八戒は目眩を感じた。
「 ・・・ それでも、今しかお前に会えない。迷ってる時間はない 」
え? と顔を上げると、金蝉は静かに微笑んだ。どこか寂しそうな微笑みだった。
「 帰るんだろ 」
瞬間、整ったその顔が辛そうに歪み、それを隠すように金蝉は八戒の身体を抱きしめた。
「 身代わりなんじゃねぇ。・・・ だけど、お前は似てる。似てるんだ、あいつに・・・ 」
“ あいつ ”
金蝉の指す人物をぼんやりと脳裏に呼び起こした。自分ではあまり似ていると思いはしなかったが、心の何処かで納得していた。金蝉も八戒と同じように迷っているのだ。
「 僕たちは、どうして出会ったんでしょうか?越えられる筈の無い時間と空間を越えて。
・・・ 譬え、意味の無い事だったとしても、僕は、貴方に会いたかった 」
「 ・・・ 俺もだ ―――― ・・・ 」
――――― 薄暗いその部屋で、二人だけの時間を過ごした。
全てを奪い合うような時間だった。心も、身体も。
何度も互いの存在を確認し合い、肌を重ねた。
思考の全てが、唯一人に向かう。そんな贅沢な時間を過ごせたことに感謝したいくらいだった。
出来る事ならば最後に彼に会いたかった。感情を押し殺す事が上手い、自分に良く似たあの人に。会って、金蝉を手放さないで、と伝えたい。解放できない感情は生まれ変わっても、こうして自分を苦しめ続けるのだ。未来永劫。
金蝉は彼に返して、三蔵の元へ帰ろう。
たとえ再び同じ想いに苦しんでも・・・。
全てが理解できた今、金蝉に対する押さえ切れない執着心は消えていた。
「 聞かなくてもいいかと思ったが、教えろ 」
部屋を出ようとした八戒の背に静かに声が掛かった。
「 名前 」
八戒はゆっくりと振り返ると、小さく微笑んだ。
「 八戒です。・・・ 大切な名前なんですよ 」
「 ・・・ 八戒 ・・・ 」
繰り返す金蝉に再び背を向け、遠い光に思いを馳せた。もう、桜の色は重ならない。
あの、黄金の元へ ―――――― 。
目が覚めた時、空にはまだ満月が浮かんでいた。
その明かりに照らされて、ゆっくりと黒い雲が流れていた。
「 綺麗だな ・・・ 」
呟くと、頭上から不機嫌な声が聞こえた。
「 呑気な事言ってんじゃねぇよ 」
八戒は身体を起こすと顔だけを声の方へ向けた。
暗闇の中、金の髪と八戒に向けられる凄みを帯びた紫暗の瞳が月の光に照らし出され、空にあるそれよりも一層、妖しいまでに美しい。
金蝉の清逸な雰囲気とはまるで違う事に気が付いた。
しかし、同じ光を纏っているのだ。
「 すみません。目、覚めました 」
「 意外と早かったな 」
言いながら近付いてくる三蔵を見上げて、考えた。三蔵が下界にいる訳を。
この高潔な精神の持ち主が、桜の咲くあの場所にいる事こそが相応しいこの人が。
―――― 何故、自分の手に届く場所に在るのだろうか。
差し出される手を見つめた。白く長い、指の先まで整った手だった。
それが八戒の口元に辿り着き、親指でそっと傷痕を辿る。鈍い痛みに顔を顰めたが、視線は彼から逸らす事が出来ない。
同じ手で殴られて流れ出た血は綺麗に拭われていた。
金蝉を信じるならば・・・ 。
八戒を求めた金蝉の想いを信じるならば ・・・ 。
今ここで三蔵に手を伸ばす事に躊躇いはない。
「 貴方が、好きです 」
小さな囁きは三蔵の耳に届いたかどうか分からない。
視線を絡ませたまま、微動だにできないでいた。自分の肩が震えている事に気が付く。
何も答えない代わりに、三蔵はそっと顔を近付けた。
瞼をゆっくりと伏せて、彼の温もりを受け止める瞬間、遥か遠いあの場所にいる二人が小さく微笑った気がした。
終
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コメント
毎日毎日こつこつと書いてました。まとまった時間が取れないんです!(泣)
ようやく完成できたわv嬉しいv 次はイラスト頑張りますわv深咲様vv(ラブコ−ル)
イエ・・・、内容は・・・。もともと設定に無理がありすぎるんですよ〜!
ssならば誤魔化しがきくのに!(というか、つっこむ間もなく終われる・・・)
前世と現世の絡みがあって、結局八戒さんは三蔵のモノになりましたが(?)今度は金蝉と二人だけのらぶらぶ世界へ逝ってみようv
・・・そうしたら、パラレル・・・?
・・・・無理かもしんない。(逃)