願い
深い雪の山を降りて、四人は小さな宿に入った。
耶雲の一件で一番傷ついていた悟空は、食事もそこそこに部屋へと篭っていた。
何時も通りに振る舞う悟空が痛かった。
今の悟空に必要なのは、三蔵だ。それは悟浄も八戒もよく解っていた。
そして、三蔵自身もまた理解しているのだろう。食事の後、悟空の部屋へと入る後ろ姿を二人は見つめた。
麓とはいえ、寒さの厳しい夜だった。
暗い外をぼんやりと眺めていると、悟浄が声を掛けて来た。
「 寒くねえ?こっち来いよ 」
「 ・・・ そうですね ・・・ 」
八戒は暗闇に向けていた視線をスト−ブの側でグラスを傾ける悟浄へと移し、頷いた。
「 あんま、考えんなって 」
「 悟浄だって、随分無口だったじゃないですか?」
「 ・・・ まあな ・・・ 」
それきり悟浄は黙ってしまい、二人は向かい合ったまま暫らく、その静かな時間を楽しんだ。
その静寂を破ったのは、乱暴に開かれるドアの音だった。
そこにいたのは悟空と一緒に寝てしまったとばかり思っていた三蔵だった。
二人に視線を向けると一言、
「 出て行け 」
突然の科白に驚いて、八戒と悟浄は呆然と目の前の最高僧を見つめた。
その瞳に浮かぶ激しい苛立ちが、八戒の身を固くさせたが、悟浄は負けずに睨み返すと、
「 何だよ、いきなり。誰に向かって言ってんの?
」
「 邪魔だ、と言っている 」
悟浄は暫らく無言で三蔵を見つめていたが、小さく息を吐き出すと立ち上がった。
自分の荷物を担ぐと、扉の側に立つ三蔵へと近付く。
「 あんま、苛めんなよ 」
「 ・・・ 俺が? 」
三蔵は口の端を上げ、皮肉な笑みを返した。
「 手前には関係ねえ 」
「 ・・・・・ 」
部屋を出る前に、ちらりと八戒を見た悟浄に微笑を返すと、彼は少し安心したように口元だけで笑った。
先程まで悟浄がいた場所に三蔵は腰を下ろした。
火の明かりに照らされる横顔が、何処か疲れているように見える。
三蔵の傷が一番深いのだろうと、八戒は思った。
( 殺してやる )
不意に、三蔵が悟空に言った言葉を思い出した。
暴走して殺される方が余程楽に違いない。
しかし、殺す方はどうなるのか。三蔵が何でもない事のように吐き出した言葉に、己の言葉に、三蔵は傷ついたのだろう。八戒はそう思った。
そして同時に、その言葉をもらった悟空に対する嫉妬と、あまりに考えのない彼に対する怒りが湧き上がってきた。
今まで悟空に対してそんな感情を持った事などなかった。
悟空の全てが、三蔵なのだ。
そんな事は理解している。
三蔵が自分を殺してまで悟空を守って育てている事も。
理解している、つもり、だった。
苦しくて、息が止まりそうだ。
八戒は思わず三蔵から視線を逸らすと、彼に気付かれないように息を吐き出した。
突然、三蔵の手が伸びて八戒の顎を捕らえた。
乱暴に口付けられたが、八戒は冷静にそれを受け止めていた。
幾度となく繰り返された行為。
それに対する三蔵の考えなど八戒に解る筈もなく、また、目を逸らし続けたい事でもあった。
今夜もまた自分は後悔を一つ増やすのだ。
服に滑り込む三蔵の手の冷たさを感じながら、八戒は瞳を閉じた。
「 どうした? 」
汗ばんだ身体を少し離すと、三蔵は尋ねた。
「 ・・・ え ? 」
質問の意図が分らず聞き返した。
「 何を考えている? 」
八戒は内心ぎくり、とした。
没頭できないでいる自分に、三蔵は気が付いたらしい。
答えを探して頭を巡らしていると、三蔵は溜息と共に身体を起こしてしまった。
「 冷たいままだ 」
「 何がです? 」
「 身体 」
「 ・・・・・ 」
始めは確かに三蔵の方が冷たかった。
しかし、彼は何時もそんな事を気にしただろうか?
八戒は訳が分らず、唖然としたまま三蔵の背中を見つめた。
そして、その時不意に気が付いた。
彼がここへ訪れた訳。
今までの行為の意味。
彼が自分に求めているもの。
気が付いて、今なら言っても許されるような気がして、八戒は口を開いた。
「 ・・・ 三蔵 」
「 何だ? 」
「 僕の事も、殺してくれますか? 」
三蔵は背を向けたまま、視線だけを八戒に寄越した。
「 ・・・ 本当に、殺して死ぬならな 」
「 ひどいなあ、死にますよ、僕だって 」
苦笑を浮かべる八戒を三蔵は睨んだ。
少しの沈黙の後、
「 お前がそれを、俺に言うのか? 」
「 貴方にしか、頼めないでしょう? 」
三蔵は身体ごと振り向いた。紫の瞳に怒りが過る。
「 カッパにでも頼めばいい 」
「 駄目です。悟浄は僕を殺せません 」
「 いい加減にしろ 」
心底苛ついているのが解る声音だ。
「 ずるいなあ。誤魔化すんですか? 」
これ以上はマズイ、と思うのに止められない。
苦しくて、苦しくて、吐き出さずにはいられなかった。
無垢な瞳に対するどず黒い感情が鬱陶しくて。
そして、悟空に対する応えとは違う三蔵の怒りが嬉しくて。
激しい怒りを向けるほど、笑顔を返す八戒に三蔵は口を閉ざした。
「 女々しいんですよ、僕は 」
「 ・・・ 知ってる 」
「 ズルくて、意地悪くて、欲深いんです 」
「 二重人格だしな 」
「 ・・・ 非道いなあ ・・・ 」
八戒は呆れた視線を向ける三蔵を抱きしめた。
「 ・・・ すみません ・・・ 」
全く、悟空よりも始末が悪い。自分に愛想が尽きる、今度こそ。
「 ・・・ だが、今のがお前の本音だろ? 」
三蔵の言葉に八戒は言葉を失った。
本当に己惚れてもいいのだろうか・・・。
「 駄目ですよ、貴方がそんなに物分かりがよくちゃ。・・・らしくないですよ
」
その声は自分でも良く解るほど震えていた。
求めている。
こんなにも、彼を求めている。
浅ましい願いをひきずったまま、この人の近くに居る資格さえない筈なのに。
「 殺して下さい 」
矛盾する願い。
「 それを、俺に言うのか? 」
でもその願いがかなう日など来なければいい。
永遠に ―――――― 。
終

いや−、暗い暗い。しかし、ある意味らぶらぶ。
っていうか、コメントもしたくない有り様…。とほほ。
なんかもうこの暑さで腐ってますから。ええ!心身共に!(いばりっ)