―――――― 知らなければ良かった。
気付かなければ良かったんだ ―――――・・・。
目的の場所へと続く長い廊下を歩きながら、金蝉は深い溜息を吐いた。
でも…、と呟く。
扉を開けて、長椅子の上で眠り込んでいる、この部屋の主の顔を覗き込んだ。
余程疲れているらしい。他人の気配にも気付かないなど、この男には有り得ない事だった。
そういえば、顔色も悪い。
暫く寝顔を眺めて、ふと、開いた胸元に気が付いた。
いつも緩んだネクタイを引っかけているが、今日はそれが見当たらない。
シャツも普段より、だらしなく開いたままだ。
嫌な予感が、金蝉の頭を過った。
髪で隠れている首筋。
僅かに覗くその跡に、金蝉の身体が凍り付く。
震える手を伸ばしてそっと髪を避けると、紅い印が露になった。
指の先から全身が冷えていく、奇妙な感覚に襲われて、金蝉は身を震わせた。
「 天蓬… 」
小さく呼びかけると、それに答えるように長い睫毛が揺れた。
ゆっくりと開かれた瞳は金蝉を捕らえると、大きく見開かれる。
「 あ…、来ていたんですか… 」
天蓬は上半身を起こすと、金蝉に微笑みかけた。
取り繕うようなその様子に、不安が込み上げる。
「 …認めたよ 」
「 は? 」
ぽつり、と金蝉が発した言葉は、天蓬に通じなかったらしい。
「 お前はただ、からかっていただけだろうが… 」
構わずに金蝉は続けた。
「 認めたら、俺には聞く権利がある筈だ。捲簾との事を 」
天蓬の笑みが消え、信じられない、という表情に変わった。
「 金蝉、貴方この前からおかしいですよ?意味解って言ってます?」
「 誤魔化すな 」
金蝉は天蓬を睨み上げた。押さえ切れない怒りが、その瞳に滲む。
「 力ずくでも、本音を言わせてやるよ 」
「 貴方には、無理ですよ 」
天蓬はやんわりとそれを躱そうとした。
だが、その態度が更に油を注いだようだった。
「 誤魔化すな! 」
金蝉が天蓬に対して声を荒げるのは、初めての事だ。
天蓬は思わず声を失くして、目の前の整った美貌を見つめた。
何と答えようかと、天蓬が思考を巡らせていると、第三者の声がそれを遮った。
「 無理矢理だよ 」
二人が声の方向に視線を向けると、捲簾がゆっくりと寝室から姿を現わす所だった。
「 オレが、公私共にこいつを手に入れただけ 」
壁に寄りかかって、煙草に火を点けながら、
「 力ずくで 」
にやりと口元に笑みを浮かべる捲簾から、金蝉は天蓬へと視線を移した。
その白い顔が見る間に強張り、蒼褪めて行く。
その様子から、捲簾の言う事が真実だと悟った。
天蓬が、簡単に手に入るほど甘い男だとは思えない。
裏にある事情が何であれ、金蝉にとってそれは信じ難い事実だった。
「 ――― 手前には聞いてねぇよ 」
やっとの思いで、言葉を絞り出す。
捲簾を睨み付ける金蝉の隣で、天蓬は静かに立ち上がると、捲簾の近くへと歩み寄った。
「 貴方は自分を悪役にするのがお好きですね 」
そう言って、金蝉へ向き直る。
「 彼の手を取ったのは、僕自信です 」
それよりも、と天蓬は続けた。
「 悟空はどうしたんです?彼を守るのが、貴方のするべき事でしょう? 」
金蝉が声を発するより先に、捲簾が呆れた様に言った。
「 天蓬お前ね…、もう少し素直に物を言ったら? 」
軽く天蓬の肩を押して、扉へと向かう。
「 あんまりこいつがお前にこだわるから、オレが嫉妬させられたの。これは本当 」
金蝉に語り掛けた後、天蓬へ向き直る。
「 …解ってんだろ?こいつが大人しくお前の生き様見てる訳ねぇんだよ 」
「 捲簾? 」
天蓬は眉を顰めて捲簾の瞳を見つめた。
「 関わるなって方がムリ。見てらんね−んだよ、お前ら 」
言い捨て、捲簾は部屋を出て行った。
取り残された二人は、暫く無言でその場に立ち尽くしていた。
「 嘘ですよ…。彼の言う事は、皆… 」
沈黙を破ったのは天蓬の方だった。
視線を合わせようとしない彼に、金蝉は静かに声を掛けた。
「 もう、どっちでもいい。天蓬、俺を見ろよ 」
それでも、天蓬は俯いたまま動こうとしない。
「 まだ、誤魔化すのか? 」
その言葉に、天蓬は思わず顔を上げて金蝉を見つめた。
真っ直ぐな視線。
今の天蓬には痛いくらいに感じるそれを受け止めて、詰めていた物を吐き出すように長い息を吐いた。
「 貴方は、綺麗ですよ… 」
そして再び、辛そうに眉を寄せた。
「 思い知らされます 」
金蝉は堪らず、その細い身体を抱きしめた。
「 それが本音か?許さないのは、俺が何も知らないからなのか? 」
天蓬の沈黙をどう取ったのか、金蝉は声を震わせた。
「 …だったら、手前が目を逸らせない位、よごれてやるよ 」
ぴくりと、金蝉の腕の中で天蓬が動いた。
「 やめて下さい 」
聞き取れない程の小さな声が、金蝉を制した。
「 悟空はどうするんですか?僕と貴方とは違いすぎます 」
天蓬は自分に絡み付く腕から逃れようと身を捩った。
するりと腕が外され、身体がよろける。
「 俺を見ろ 」
低く響くその声に、天蓬はゆっくりと顔を上げた。
「 …無理です。僕には始めから、貴方に抗う術なんてないんです。
…何も望まないでいて欲しかった。貴方にはそのまま、其処に居て欲しかった 」
何時もの酷薄ささえ感じられる天蓬の瞳が、今は只、動揺に揺れている。
――――― 拒絶ではない。
それだけが解った。
天蓬が何をしようとしているのか、金蝉にはその目的も手段も解らなかった。
何にこだわっているのか。何故あの男に捕まっていたのか。
本音も。全て。
だが、それだけが解れば、今の金蝉には充分だった。
「 動くな 」
その頬に手を伸ばして、唇に触れる。
色を失くして、微かに乾いたそれに、自らのそれを重ねる。
天蓬は微動だにせずに、それを受け止めていた。
軽く、重ねるだけの接吻を繰り返して、金蝉は手を天蓬の腰へとまわした。
おそらく、つい先程まで他の男に抱かれていた身体。
気持ちの芽生えは、確かに悟空が金蝉の元に来てからだ。
悟空の感情の動きに、知らないうちに引き摺られていた。
花を綺麗だと思う事も、他人の心を知ろうとする事も、以前の金蝉には考えられない事だった。
天蓬が悟空にこだわる訳。それは・・・・。
「 ―――― 嫉妬、と言ったな 」
唇を少し離して、金蝉が言った言葉に天蓬の肩が小さく揺れた。
「 その理由も。…奴が言っていた事は、本当に嘘か? 」
「 … 何時からそんないい性格になったんですか?」
ふう、と息を吐き出して、やっと天蓬は緩やかな微笑をその顔に乗せた。
動揺を上手く隠してしまった彼に、金蝉は心内で小さく舌打ちした。
「 捲簾は僕にとって必要な存在です。あの気性も、気に入ってます。
… 彼との関係は、貴方の想像通りですよ。昨晩も一緒でした 」
何故。
ここまで追い詰められていながら、あくまで金蝉を否定する科白を吐く。
行き場を失くした思いが身体中を駆け巡り、出口を求めて荒れ狂う。
金蝉は感情に翻弄されるまま、天蓬のシャツの胸元を掴んだ。
引き千切らんばかりのその力に驚いて、天蓬はその腕を外そうと足掻いた。
「 ・・・だったら、物欲しそうな顔して俺を見るな! 」
そのまま、天蓬の身体を壁へ押し付けた。
何かを言おうと、開きかけた唇を乱暴に塞ぐ。
言葉を、全てを奪う様に、激しく。
天蓬の腕が耐え切れなくなった様に金蝉の背を抱いた。
柔らかな舌が口内に侵入して来て、金蝉のそれを優しく絡み取る。
金蝉は一瞬目を見張ったが、その甘い感触に我を失くすと、夢中で貪った。
息をするのも惜しいくらいな深い口付けの合間に、天蓬が口にした後悔の言葉。
――――― 引き返せない…。
戻る場所など始めからないのに。
ここから全て始めればいい。
流されればいい。
このまま全部失った方が、きっと、楽になる ―――――
服の合間から滑り込む金蝉の手に、天蓬は首を振った。
「 今は…、此処は…、嫌なんです 」
その拒絶の意味は、金蝉にも分かった。
捲簾に抱かれたそのままの身体で。同じ場所で。
構わない、と思った。
全て承知の上で。
自分の懐の深さに皮肉な笑いが込み上げる。
何時からこんなに物分かりが良く、そして欲深くなったのだろう。
すっかり抵抗を失くした天蓬は、金蝉の肩に頭を乗せて、静かに目を閉じていた。
その重みに、金蝉は喉の奥が焼け付く様な感覚を味わっていた。
欲情、していた。
外は明るく、僅かに開いた窓の隙間から暖かい風が吹き込んでいる。
何時、誰が訪れてもおかしくない時間。
悟空が探しに来るかもしれない。
理性を捨ててその存在に溺れるのには、経験が少なすぎた。
「 …おい、今日の仕事は? 」
確認する金蝉が可笑しくて、天蓬は口元だけで笑った。
「 優秀な上官が何とかしてくれていると思いますよ 」
金蝉は天蓬に背を向けると、扉へと向かった。
そのまま帰るのかと、不安げな、そしてどこか安堵した表情が天蓬の顔に浮かんだ。
だが、金蝉は扉の鍵を閉めただけで、振り向いた。
静かな部屋に響く、がちゃりという音が、外の世界から切り離された密室を実感させて天蓬の身体を固くさせた。
「 不健康ですよね… 」
「 健康的な時なんて、お前にあったのか? 」
「 … シャワ−くらい、使わせてくれますよね? 」
金蝉は小さく頷いた。
少々熱めの湯を、頭から浴びる。
このまま溶けてしまいと思うくらい、疲れていた。
――――― どうかしている…。
こんな展開は予想していなかった。
どこまでも金蝉を拒否できる強さを、自分は持ち合わせていると、思っていた。
だが。
彼の腕の強さが、はっきりとした意志の込められた言葉が、そしてあの唇の熱さが、天蓬の砦を壊したのだ。
「 ――― 弱いですね… 」
呟くと、湯を止めて浴室を出た。
ドアを開けた途端、目の前に立つ金蝉にぶつかりそうになって、思わず身を引いた。
金蝉の手が伸ばされて、天蓬の濡れたままの裸身を引き寄せる。
「 ―――― あ、」
性急に求めてくる彼に焦りを感じて、天蓬はその身を捩った。
唇を重ねながら、引き摺られてベッドの上に投げ出される。
覆い被さってきた金蝉に首筋の跡をいきなり噛み付かれて、天蓬はその痛みに声を上げた。
「 っあの、ちょっと…、待って… 」
「 待たねえ 」
慣れた動きではないのに、金蝉の手が触れた個所から熱が生まれる。
少し体を離して見下ろしてくる視線に、居た堪れなさを感じて天蓬は顔を背けた。
癖の無い長い髪が、さらりと裸の胸の上に落ちて来て、天蓬はその感触を味わう為にそっと瞼を閉じた。
余す所無く口付けられ、絶え間無い愛撫が加えられていた。
金蝉にこんな情熱的な部分があったのかと、驚かせられる。
彼を掻き立てるものの正体を掴もうと、天蓬もその体に手を廻し、頬に、瞼に、髪に口付けた。
求める事を当の昔に諦めた天蓬にとって、それは夢の中の出来事の様だった。
絡み付くように、繊細な指が体をなぞってゆく。
不意に、舌先が中心に辿り着き、敏感な部分を弄った。
「 ふっ・・・ 」
痺れるような感覚が背筋を走り抜ける。
次第に、快感が全身に広がり、天蓬は息を乱した。
舌が動く度に細かい痙攣が走り、押さえ切れない喘ぎがその口から漏れていた。
熱くなる体。
快感に、うっすらと涙を浮かべて、縋る様に潤む瞳。
その姿を知っているのは自分だけではない。
消そうとしても消えないその事実に、余計に煽られている自身を、金蝉は自覚していた。
このまま、意識ごと全てを手に入れたいという、欲求が生まれていた。
やめて欲しいと懇願する天蓬の声を聞かぬ振りをして、彼が意識を失うまで、金蝉はその身体を離す事が出来なかった。
気が付くと、部屋の中は既に暗くなっていた。
ぎしぎしと軋む身体を無理矢理起こして、天蓬はするりとベッドから抜け出した。
不意に手首を掴まれ、ぎょっとして振り返ると、寝ているとばかり思っていた金蝉がこちらを見据えていた。
「 …これで、最後にするつもりだろ? 」
暗闇の中で、その表情は読み取る事は出来なかったが、引き止めた力の強さが金蝉の心情を表していた。
「 時々異常に鋭いですよね、貴方は… 」
「 逃げる事なんか、考えられなくしてやる 」
そう言って、手首を引き寄せる金蝉に、
「 ちょっと、もう勘弁ですよ 」
天蓬は半ば本気で抵抗した。
「 そんな事、もう考えてません 」
諦めの溜息と共に、もう一度金蝉の隣へ滑り込む。
「 … 他人の側だと、眠れないんです 」
抜け出した言い訳のように、ぽつりと漏らした天蓬の言葉に、一人で椅子で眠っていた理由を、金蝉は知った。
「 … もう二度と、あいつの側に寄るな 」
「 それは、難題ですねぇ 」
おそらく微笑んでいるだろう、天蓬の声音は柔らかく響いた。
「 こんな事になってしまったのは、僕の責任です。これからは、危ない事は慎みます 」
巻き込む訳にはいかないですから。と付け加える。
―――― 危ない事…。
確かに、天蓬はそう言った。
巻き込まれる事など恐れてはいなかったが、自分の存在が天蓬の暴走を止める事が出来るのならば、今は何も言わない方がいい。
金蝉はそう判断した。
天蓬の身体に腕をまわして抱き寄せると、子供のように擦り寄って来た。
月の光に包まれるように ・・・。
いつしか天蓬は眠りの中に落ちて行った。
これで終わりではない事を、金蝉はその後、知る事になる。
観世音菩薩から聞いた捲簾の軍大将解任の知らせ。
二人の怪我の理由。
相変わらず、何も知らないのは自分だけであるという事実。
あれからも宿り続ける、天蓬の瞳の奥の暗い影―――― 。
歯車は確実に廻っている、という事を、この時はまだ知らずに居た ―――――。
end
うお−、やっと終わった−!!涙乍らに叫びます!
こんなに苦しんだブツは初めてです!ああ、辛かった・・・。
こんなHシ−ンに、悩んだ、悩んだ。
おかげでこの2、3日、頭の中で18禁がぐるぐるまわってました・・・。(不健康・・・)
友人に、「まずはレディコミ読みなさい」と言われ、泣きながら読みましたわ!!(苦手です)
おかげで免疫だけはついたような気がしますが、微妙。
とりあえず、ごめんなさい。