白い世界
雪は嫌いだ。
恐ろしいほどの静寂が心を一人にさせるから。
真っ白に埋め尽くされる景色がこの世に独りきり残されるような錯覚を俺に与える。
「見張り、ご苦労」
そう言って不意に現われた土方さんは俺の顔を見て笑った。
「なんてぇ面だ」
心の不安を見透かされて、俺は伐の悪い笑みを見せる。
「一人にして悪かった」
土方さんは俺の頭に手を乗せ、子供をあやすように軽く叩くと煙草を取り出し火を点けた。
その灯りに言い様のない安心を感じて、俺は泣きたい気持ちになった。
消えないで欲しい。いなくならないで欲しい。
この世の全てを失っても、この人だけはここにいて欲しい。
祈るように、思った。
気が付いた時は遅かった。
少し調子が悪かった。長引く風邪にもどかしい思いを抱えていた。
咳をすると皆が自分を邪魔にするから、懸命に堪えた。だるく、熱っぽい身体を無理に動かし、笑顔と何時もの軽口。
騙したのは周りだけではなかった。
自分も、気付けなかった。
何時、何処でどうして―――
思考を巡らせて思い当たったのは捕らえた攘夷志士の一人が激しい咳をしていた事。
彼は裁きを待たずに牢の中で死んだ。血を吐いて。
取調べは自分だった。
顔は覚えていないが、恨みの篭った瞳を思い出した。
―――彼は敵を討てたんだな。
ぼんやりと、そう思った。
その後考えたのは、どうやってこれを誰にもうつさずに隠し通すかという事。治す事は頭になかった。
無謀な考えだとは思わなかった。最後の瞬間まで真撰組の為に働けるのならば容易い。
突然自分が消えて皆が、あの人が何を思うか。それもやはり頭にはなかった。
俺は自分の事しか考えてはいなかった。
「まだ風邪治らねぇのか?」
不意に訊ねられ、俺はぎくりと隣を見た。
「・・・何時の話だよ。とっくに治って・・・またひいたんでィ」
「そんなにヤワだったか?誰かにうつしてさっさと治せ」
「そうだな、アンタにうつして高熱だして死んでもらおうかなァ」
「・・・・・」
にやりと笑みを浮かべ土方さんを見上げると、何時になく真剣な眼差しにぶつかった。
「たまには、いい休暇になるかもな」
呟いた唇が目前に迫り、俺は驚いて身を引いた。
「・・・っ何、考えてんでィ!?」
「手っ取り早くその風邪もらおうと」
俺の肩に手を掛け、土方さんは引き寄せた。バランスを崩し、俺はその胸に倒れこみそうになる。
「―――やめろっ!」
思い切り突き飛ばすと、土方さんは目を見開いた。
「・・・青い顔しやがって」
そう言った彼から俺は目を逸らした。
心臓が激しく脈打ち、俺は息を吸い込んだ。
途端、咳き込みそうになるのをぐっと飲み込む。苦しくて胸が焼けそうだった。
―――嫌だ。
この人にだけは、絶対にうつさない。
胸を押さえ、俺は固く瞼を閉じる。
「そんなに、嫌か」
その時背中に届いた呟きに、俺は一瞬呼吸を忘れた。
苦しさも忘れ振り向くと、彼の背中が見えた。
今、土方さんは俺に何をしようとした?
キスを?
こちらを見ようとしない、その背に心の中で問い掛けた。
彼の唇が自分のそれに触れる。それを想像しただけで、鼓動が激しくなった。
嘘だろう?
嫌じゃない。
嫌な筈などない。
しかし、俺は開きかけた口を再び固く閉じ、彼の背を見つめ続けた。
後編
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WEB拍手お礼を書き足しました。
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