裏切り
伊東鴨太郎は殺気を感じて振り向いた。
思わず身構えてしまう程の、尋常ではない殺気だった。
それを発していたのは、真撰組一番隊長沖田総悟。彼の視線の先には無防備に背を向けた土方十四郎。
「――――――っ、」
沖田が刀を抜いた瞬間、伊東は思わず声を上げそうになった。確実に、土方は斬られると思った。
が、見事としか言い様のないタイミングで、土方はその切っ先を避けたのだった。
「総悟!手前、いい加減にしろよ!?
舌打ちした沖田に、土方は眉を吊り上げる。
「・・・そろそろ、一度でいいから斬らせてくだせェよ」
「一度で終いだ、ボケ!手前の攻撃は読めてんだ、諦めろ!」
何時ものように言い争いを初めた二人に、伊東は詰めていた息を吐き出した。
関係のない自分の方が余程、緊張した。
「・・・驚いたな・・・」
呟いた伊東に、土方はふと視線を向けた。
そして、いかにも嫌な物を見た、と言う風に顔を顰める。それはお互い様だった。
伊東は構わず、二人に歩み寄った。
「君達は、近藤君の道場に居た頃からの仲だと聞いたけれど、僕の聞き間違いだったかな?」
「違わねぇよ。こいつが今の半分の大きさだった頃から知ってるよ」
土方が指差すと、沖田はその手を叩いた。
「人を指差すのは悪いって教わらなかったかィ?」
「うるせぇ!不躾野郎が!」
何時もこんな風だから気付かなかったのかもしれない。言い争いはするが、この二人は何時も一緒に居て、仲が良いとばかり思っていた。
「・・・沖田君、他の隊士達の前で上司に刃向かう行動は慎んだ方がいい。僕達は真撰組の見本にならなくてはならないのだから」
伊東がそう言うと、沖田は思い切り嫌な顔をした。
「・・・じゃあ、今度は闇討ちにしまさァ」
「総悟っ!!」
怒鳴る土方に背を向け、沖田はさっさとその場を離れて行った。
「部下の行動くらい、しっかり管理してくれなくては困るよ、土方君。副長が舐められていて隊を統率できると思うのかい?」
溜息と共にそう言った伊東をちらりと見ると、土方は口を開いた。
「手前にゃ関係ねぇんだよ。他の隊士に舐められるワケねぇだろうが。・・・あいつは別だ」
「―――――――」
伊東は目を見開いた。
本気で言っているのだろうか?
あれだけの殺気を向けられていて、何故沖田を庇う事を言えるのだ?
古い馴染みというだけで、他人を信じられるというのか?
「・・・せいぜい、寝首を掻かれないようにする事だな」
伊東はそう言うと、土方に背を向けた。
「いらねぇよ」
苦々しい土方の声を背に聞く。
―――――沖田の憎悪の理由を調べてみる必要があるな・・・。
伊東はそう思った。
すぐに腹心の者に探らせ、伊東は沖田と土方の間にあった事実を知った。
真撰組内では有名な話らしく、あっけなく情報が手に入った。
「そうか・・・、ミツバ殿は亡くなったのか・・・」
伊東が真撰組を留守にしていた間に、沖田の姉がこの世を去っていたらしい。
そして、その姉の婚約者を土方は殺していた。
婚約者は武器の密輸をしていたらしく、結局は真撰組総力で男を葬った、との話だが、先頭に立ったのは土方だ。それでは沖田が土方を恨むのは無理のない話しだと納得した。
土方が沖田を庇うのは後ろめたさ故か。
全てを信じるには躊躇するが、彼等を切り崩すきっかけにはなるかもしれない。
伊東は顎に手を当て、考え込んだ。
目障りな土方に消えてもらい、近藤を抱きこむ。
最終的には自分に刃向かう者は一掃し、真撰組全てを手に入れる企てを、伊東は心密かに持っていた。
裏側からじわじわと仲間を増やし、着実にその時は近くに迫っていると感じる。
ふと、庭先の金木犀の匂いに気付き、伊東はそっと襖を開けた。
裸足のまま縁側に立ち、橙色の花に見惚れる。
人影に気付いたのはその時だった。
とたとたと足音を立て、その人影は近付いて来た。
「―――――沖田君か・・・」
伊東は息を吐き出した。
特に怪しい気配でもなかったが、公に出来ない企みを持つ為何処に居ても油断は出来ない。
「こんばんは。さようなら」
さらりとそう言って、沖田は伊東の横を通り過ぎる。
「・・・土方君が、憎いかい?」
食いついてくるか来ないかは彼次第だ。伊東は賭けのつもりで声を掛けた。
沖田の足が止まる。
「―――――解るかィ?」
「―――――――」
振り向いて、口元に笑みを浮かべた沖田に、伊東は目を見開いた。
「・・・あれだけの殺気は戦場でもそうそうお目に掛かる物じゃない。気付くよ」
「流石、副長。同じ副長でもえらい違いだ。あの人ぁ、さっぱり気付いちゃいやせん」
「そのようだね・・・」
伊東はしばし呆然と、目の前に立つ男を見つめた。
月の光を受け、彼の白い肌が浮き立つようだ。
―――――そういえば・・・、彼女は、とても美しい人だった。
一、二度しか見た事のない、沖田の姉を思い出した。
土方も彼女に惹かれていたとの噂も聞いたが・・・・。
伊東ははっと、気付いた。
“あいつは、別だ”
土方の言葉を思い出し、改めて沖田を見つめる。
あれは・・・、“特別だ”の間違いではないのか?
そう思った。
庇うのは後ろめたさ等ではない。本当に、純粋に土方は沖田を好きなだけではないのか?
あの綺麗な人に良く似た、この沖田を――――
そう思った瞬間、身震いした。
「・・・じゃあ、俺はこれで・・・」
そう言って部屋に戻ろうとした沖田の腕を、伊東は掴んだ。
「沖田君、君の望みは何だい?」
「・・・望み?」
「僕が、君の望みを全て叶えてあげよう」
耳元にそっと、誘うように囁いた。
「・・・・・」
「例えば―――、土方君の命、とか?」
沖田の瞳が伊東を真っ直ぐに捕らえる。
「信じるかどうかは君次第だ」
「・・・そんな事、俺に言っちまっていいのかィ?」
「信じないと言うのなら、この事を土方君に言っても構わないよ。僕は君の本心を知りたいんだ」
「・・・・それだけ、土台が固まってる、って事かィ」
「何の事かな?」
伊東はふ、と笑うと沖田の肩に手を乗せた。
細い、少年の肩だった。ぞくりと、背筋が震える。
―――――彼が、欲しい。
そう思った。
それを知った時の土方の顔を想像するだけで、震えが走るほど興奮する。
そして何よりも、この美しい人間を自分の手中に収めたい。
「今日一日ゆっくりと考えるといい。返事が出たら、明晩僕の部屋においで」
「――――俺に、何をさせる気でィ?」
「・・・何も・・・。君の従順さを示してくれればいい。君は抵抗せずに僕の傍に居ればいいんだよ」
そう言って、沖田の肩に置いた手をするりと頬に伸ばした。
ぴくりと身動きし、沖田は身体を強張らせた。
どうやら意味は通じたらしい。
沖田は伊東の手を振り払うと、無言でその場を立ち去った。
「――――は、ははは・・・」
堪えきれず、伊東は声を上げて笑った。
明日の晩まで待たずとも沖田の答えは見えていた。
どんな屈辱でも受け入れる。それほどまでに叶えたい望みがあるのだと、強い意思の篭った瞳が語っていた。
「それ程土方が憎いか、沖田」
いいだろう。彼の望みは全て叶えてあげよう。
土方の死を捧げよう。
怖気づくなら、彼にも死を。
野望が叶う瞬間が、確かに訪れる手応えを、伊東は感じていた。
続
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・・・やっぱり書いちゃった。時間ないからすごい必死で書いた。