月に捕らわれて




「 捲簾大将に、会われたそうですね 」
天蓬の自室。足の踏み場も無い、との形容が正に当てはまるその部屋の片付けを手伝いながら、部下が声を掛けてきた。
天蓬は、誰から見てもやる気のないのが分かる手つきで本を棚へと戻している。
「 面白い人物ですよねぇ、彼を見ていると退屈しませんよ 」
「 …え?元帥、それは、どういう… 」
先程から、狭い部屋に二人だけで作業をしていたのだが、時折、彼の視線が落着かない様にチラチラとこちらに向けられる事に、天蓬は気付いていた。
「 言葉通りですよ。彼は、何にも捕らわれないで生きている。…うらやましい、と思わないでもないですね 」
そう言ってにっこりと微笑んでみせると、彼は慌てて顔を臥せ、
「 驚きました。大将に、興味でも持たれたかと思いました 」
と、天蓬の本音を探る様に呟いた。
――――― 千年早い、と、思う。
いいかげん自分の容姿が、性別を問わず他人を魅了するに充分な物である、という自覚はあった。
しかし、天蓬まで同じ趣味だと取られるのには、我慢ができなかった。身の程も弁えず触れてくる者さえいたのだ。もちろん、それを許す天蓬ではなかったのだが。
ふと、眼裏に白い姿が浮かんで、消える。
―――――― いや、例外が、一人・・・。
不意に天蓬が浮かべた優しい微笑に、彼が息を呑んだのが分かった。
「 元帥、大将の方は、貴方に大変興味を持たれた様子でした。私は…、心配で… 」
そう言って近付いてくる相手に内心、うんざりとする。その時、
「 …おい、掃除は終わったのか? 」
急に扉が開いて、先程脳裏をよぎった人物が現れた。
天蓬に向かって伸ばされた手が慌てて引っ込められ、部下は足音をたてて部屋を出ていった。
「 …わざと、ですか? 」
突然の訪問者に問い掛けてみると、不機嫌な声が返ってきた。
「 お前は自覚が無い上に無防備なんだよ。 … で、何の用だ? 」
そう言われて初めて、ああ、自分がここに彼を呼んだんだ、と思い出した。
「 …そうそう、下界でまた、面白い物を見付けたので… 」
天蓬が荷物の中からごそごそと取り出した物は、板と本、小さな入れ物が二つ。
「 “碁”というものらしいですよ?これは、入門書です。 」
それにチラリと目をやって、彼はうんざりとした表情を見せた。
「 退屈しのぎには、なりませんか? 」
「 ならねぇよ 」
「 冷たいですね− 」
拗ねた声を出しながら、その実天蓬は,彼とのこんなやりとりが嫌いではなかった。
この金色の髪と紫の瞳を持つ男は、いつも面倒臭そうな顔をしていながら、天蓬の誘いを断る事はなかったし、暇を見付けてはこの部屋へ顔を出す事も、少なくなかった。
“楽しむ”という事を何も知らない彼が、天蓬に少しでも心を許してくれる、それが解る瞬間が好きだった。
「 用がないなら、帰るぞ。俺も暇じゃねぇんだよ 」
言いながら、手を伸ばして先程天蓬が下界から持ち帰った物を乱暴に取り上げる彼を見上げた。
「 暇になったら、やってやる 」
暇になったらだからな、と繰り返し、背を向けてさっさと扉へと向かう。
天蓬は、彼を苦笑混じりに呼び止めた。
「 金蝉 」
金色をなびかせて振り返る姿に、しばし見惚れる。
彼にうっとりとした視線を送りながら、天蓬は口を開いた。
「 自覚がない上に無防備なのは、貴方の方ですよ 」
金蝉は紫の瞳を怪訝そうに細めて、何か言い返そうと口を開いたが、諦めた様に溜息を吐くと、何も言わずに部屋を出て行った。



―――――― ほら、僕の下心にも気付かない…。






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