眼の前にある書物に熱中していて、足音が近付いてくるのに気付くのが遅れた。
その気配の主を一瞬で判別すると、天蓬は気を引き締めた。
それはこの部屋に用などない筈の人物だった。
「 て−んぽ−うげ−んす−い 」
初めての来訪のくせに、がんがん、と無遠慮に扉をたたく彼に内心苦笑する。
書物に目を戻して気付かない振りをしたが、来訪者は勝手に扉を開けて入って来た。
「 不躾な方ですねぇ 」
嫌味を込めて言ってみたが、堪えた様子はない。
「 居留守使う方が悪いんじゃね−? 」
ちゃんとノックしたし、 と悪びれもせず、言い返す。
「 確か貴方とは、以前一度お会いしただけでしたよね?捲簾大将 」
「 馴れ馴れしいのはオレの地だから。元帥殿にも慣れて欲しいんだよね、長い付き合いになるんだし? 」
誰と、誰が、と言おうとして、天蓬は思わず笑い出してしまった。
怖いもの知らずもここまでくると面白い。
捲簾は天蓬の反応に満足そうに笑うと、
「 んで、本題なんだけど、オレの物にならない? 」
単刀直入な申し込みに不覚にも天蓬は一瞬、言葉を失った。
「 …その申し出に、僕が頷く理由はありませんよね? 」
「 いや、ある。あんたにとって、オレという隠れミノは必要だろ? 」
彼がそこまで言って、やっと天蓬は捲簾の言わんとする事を理解した。
数日前、いくつか言葉を交わしただけである彼は、天蓬の上層部へ対する不信感を感じ取ったらしかった。もし天蓬が何か企てるのなら、捲簾の後ろの方がやりやすいだろう、という話しらしいが…。
「 貴方のお話には根拠も何もありませんね。…でも、興味深かったですよ 」
言外に、この話を終わらせる事を含ませる。が、
「 あんたの頭脳と地位、力も欲しい 」
懲りもせずに続ける捲簾の自信に満ちた瞳を見詰めながら、天蓬は頭の隅にあった考えが蘇ってくるのを感じていた。
―――――下界の全ての物を駒のように扱う権利が、天上人にあるのだろうか。
きな臭い軍上層部。何も知らない、否、知ろうとしない天帝。
“死”の存在しない世界は退屈すぎて皆、狂いだしているのかもしれない。
頭の奥の方から、腐ってゆく―――――・・・・。
「 別に今日は、了解を取りに来た訳じゃないんで… 」
天蓬の思考を遮るように口を開くと、捲簾は静かに立ち上がり、天蓬の目の前に立った。
「 !? 」
咄嗟に身構えたが、捲簾の右手が天蓬へと伸ばされるのを防ぐ事は出来なかった。
そのまま、強引に顎を捕らえられ、唇を重ねられる。
「 ・・・何を・・・っ! 」
振り払おうと力を込めた天蓬の腕は、素早く身を引いた捲簾にあっさりとかわされた。
「 奪いに来ただけ 」
宣言して、再び天蓬の方へと歩み寄る彼に、震えが走った。
何故、彼がここへ来た時に気付かなかったのだろう。その目的に。
――――― 逃げられない。
直感的にそう思うと、取り繕うのも忘れ、手近にあった厚い本を投げつけた。
「 …意外だなぁ。もっとカンタンに躱すか逃げるかすると予想してたんだけど… 」
飛んできた本を片手で防ぎながら、捲簾は呟いた。
―――― 当たり前だ。何時もなら相手が誰であれ、躱すのも逃げるのも容易い。
だが、今目の前に居る男だけは、他の誰とも違う気がする。
保身も見栄もない相手がこんなにも厄介だという事を、天蓬は初めて知った。
しかし、天界で本音を晒して生きる事の難しさを知っているが故に、彼のような存在は貴重だと、頭の何処かで認めてしまう。
捲簾は、天蓬の出方を待っているようだった。焦らすように間合いを詰めてくる。
「 叫んでみる?非力な女みたいに 」
「 ・・・・・・ 」
自分の口車に乗る相手ではない。
しっかりと認識すると、無様でも構わない、とばかりに踵を返してドアへと走った。
「 おっと、逃げるの? 」
捲簾は素早く手を伸ばして、天蓬の白衣の裾を掴んだ。それを思い切り自分の方へと引っ張り、そのままバランスを崩した天蓬に馬乗りになった。
眼鏡が音を立てて床に落ちる。
「 …っ、こんな真似しなくても、貴方の条件に乗りますよ…! 」
「 地位や頭脳は、ついで。…言っとくけど、こんな乱暴な真似、女にもした事ねぇから。男相手ってのも初めてだけど。」
そう言って天蓬の衣服へと手を掛ける捲簾に、力の限り抵抗する。が、力では適わない事を自覚するだけだった。
捲簾は小さく舌打ちすると天蓬のネクタイを引き抜き、両手をまとめて縛り上げた。
「 後悔する事になりますよ 」
自由にならない状態で、それでも力を込めて睨み上げる。
「 しないよ。…賭けてもいい 」
捲簾は一気に天蓬のズボンを剥ぎ取ると、自分のベルトに手を掛けた。
強張った天蓬の身体に、一瞬だけ躊躇う表情を見せたが、
「 …悪ぃ 」
耳元で囁くように言うと、固いままの中へ、ゆっくりと侵入してきた。






「 力、抜いた方が、ラクだって… 」
「 ・・・・・・っ 」
そんな事、無理だ。
身体を引き裂かれる痛みに、唇を食い縛って耐えるだけで精一杯だった。
目尻から生理的な涙が零れる。
慣らす事も無く無理矢理開かれた為か、繋がった部分から血液が流れ出て行くのが分かった。
目の前にある瞳が辛そうに歪む。彼も締め付けられていて苦しい筈だったが、思いやる余裕など天蓬にある訳が無い。
薄暗い室内に、二人の荒い息使いだけが響いていた。
気が遠くなるほどの長い時間が過ぎた気がする。
その一方、天蓬はどこか冷めた頭で、この現実を受け止めていた。
無力だった自分と、捲簾の行動。そして、彼への想い・・・。
自分の金蝉に対する下心は、この行為を手段としたものであったのだろうか。
触れたい、手に入れたいと、思った事は事実だ。
------- でも・・・。
何より、彼を壊したくない。この汚れた天上界で唯一の、美しいその存在。
欲望に塗れたこの手で汚す事がなくて良かったと、心からそう思う。
不思議と、捲簾に対する気持ちは穏やかな物だった。先程感じた恐怖も今はない。
痛みを慣らすように息を吐き出して、天蓬は瞳を閉じた。半分、意識が飛んでいたのかもしれなかった。
天蓬の腕が重力に従って、くたりと下に落ちる。
それに気付くと、捲簾は天蓬の頬に残る雫の跡を唇で拭い、漸く身体を離した。
支配していた存在が、ずるりと抜けてゆく感触に、天蓬の背筋が震える。
「 もう、抵抗しないだろ… 」
捲簾は力の抜けた天蓬の身体を抱えると、寝室へと向かった。
ベッドの上に下ろして、手の拘束を解く。
手首に残る跡を捲簾の唇が辿り、労るように抱きしめられた。
先程とは打って変わったやさしい愛撫だった。
天蓬の服を全て脱がせて、彼の舌が首筋を伝っていく。
「 …貴方は、何が、目的なんですか…? 」
最初からずっと頭にあった疑問を投げかけてみる。彼が言っていた事は、どうしても信じられずにいたからだった。
「 その表情を見る事 」
笑いを含んだ瞳で捲簾が答えた内容に、何故か納得してしまった。
こっちの理由の方が彼らしいと思ったからだ。
捲簾の、軍人らしい厚い背中に躊躇いがちに手をまわすと、天蓬は小さく息を吐き出した。
――――― これは、きっかけだ。
目指す方向を捲簾が示した。自分の、金蝉に対する甘い期待を断ち切る様に。
後は、瞼に焼き付いて離れない彼の人を巻き込まずに進む道を、選ぶだけだ。
共に堕ちる相手として、捲簾ならば間違いはないだろう。
二人は熱く、執拗な、長い接吻を交わした。
次第に快感を覚えてゆく己の身体を蔑みながら、辛いだけのその行為を何度も、何度も繰り返した。
ただ、堕ちてゆく為だけに ------- 。







「 貴方の副官になりましょう 」
緩慢な動きで衣服を身につけながら天蓬が言った言葉に、捲簾は振り返った。
「 面白いねぇ。…でも、オレのお守りは大変だぜ?」
「 退屈凌ぎには、なるでしょう?」
言いながら、ふと、捲簾の表情に過った複雑な色を天蓬は見逃さなかった。
「 … 後悔しましたか? 」
何も答えずにいる捲簾の横顔を眺めながら、天蓬は自嘲の笑みを浮かべる。

――――― 後悔など、させない。
貴方には地獄まで付き合って頂くのですから ―――――





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